立川雲水ついに本格炎上(下)

雲水炎上にあたり、同じ立川流ということだけでもらい事故を受けていたのが志らく。
しかし、いつも自爆している志らくが、もらい事故を見事にリカバリーしていて、かなり驚いた。
立川流だからなにかコメント出せという世間も乱暴には違いないが、志らくのほうも、日頃から談志の教えばかり説いているのだから仕方あるまい。
このブログでは散々志らくを批判しているが、それは政治思想の左右についてではない。だいたい思想なんてもともと持ってない人だし。
根拠なく他人を見下し、勝手にてっぺんに昇るその了見が、あまりにも噺家らしくなくてイヤだなと思っているから批判しているのだ。その点は雲水と非常に似ている。
だが志らくのほうは、さすがメディアで売れてるだけのことはある。真に危機を回避しようと思えばできるらしい。
過去の自分の、首相の病気を揶揄するツイートを引っ張り出されてこられたが、それについて当時は間違っていたと認めた。
これについて、今さら何言ってやがると思う人は多いだろうが、でも世間にとって真に大事なのは、反省すべき部分についてきちんと反省の意思を見せたこと。あの志らくが。
先日の、「日本人かあ?」というクスグリに対する、事象に向き合わない弁明とはいささか矛盾を感じるけども。

今回に関しては志らく、結構我慢してるんだろうという気配でもある。だから、我慢して得た今回の危機回避成功をいずれ忘れ、また自分からやらかしそうだと思った。
それでも、今回の対応はツイッターで評価されている。私も否定する気はない。
その後、自分ではなく身内の件で騒ぎになったのは、昨日取り上げた通り。

それにしても、雲水とは年2回しか会わないし、一緒に会もやっていないという、志らくの突き放しには笑った。
落語を聴かない人、聴いていてももっぱら落語協会だという人にはまったくわからないだろうが、立川流のつながりなんてそんなもの。一門ではあっても、すでに組織ではないのだ。
ここに、自分と雲水とはレベルが違うのだという、志らくの傲慢さを嗅ぎ取った人は多いだろう。でもそれは歴然たる事実で仕方ない。
立川流の、広小路亭や日暮里の小さな寄席に出ている立川流は二流。それが立川流の噺家の確固たる認識。
一流の噺家は落語会しかやらない。寄席の否定で生まれた団体だからだ。
他団体なら一流の噺家も寄席に出る。売れっ子なのに出ずっぱりの春風亭一之輔師をはじめ。だが立川流は明確なカースト制度なのである。
数は多いが志らくの売れない弟子たちは、こうした寄席に出ている。この構造を背景にすると、志らくの弟子関係のいびつさも理解しやすいだろう。
志らくにとっての弟子は、雲水ごときと同じレベルにいるダメな連中たちなのである。
他の団体なら、寄席に出るのが当たり前の仕事なので、こうしたおかしな枠組みにはならない。

それにしても雲水についてなんにもコメントせず、依然政権批判を続ける談四楼は卑怯だと思う。
だいたい、雲水も勝手に談四楼を追いかけてこうなってしまったのではないだろうか。責任を感じないといけないなんてことはないが、なにか思わないのか。
談四楼のほうが、文体もギャグもはるかに洗練されていた。それは改めて明らかになったけども。
談四楼師、勘違いした左寄りのメディアからは落語界の重鎮だと持ち上げられているのである。
なら落語界の重鎮らしく、なにかしらコメントすべきと思うのだが。
フォローできないなら、反省を求めたっていいので。

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作成者: でっち定吉

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