落語界とコロナ(中)

テレワークを機に、「働かないおじさん」の本当に働かない正体が次々バレているというネット上の記事は結構楽しい。
働かないおじさんはITスキルがまるでないため、自分がテレワークでサボっていることがまわりから丸バレなのにすら気づかない。
コロナ開けに、みんなリストラに遭うわけだ。まあ、これだってコロナがなければ逃れられた運命かも知れず、二次被害といえなくはない。

これはコロナの事象が生み出したネタだが、それだけではない。
コロナについて語るだけで、人の本性があぶり出される。
正義のつもりで語っている人の、ありのままの姿がそこに見えてくる。

政府や行政、取り仕切っているお上に唯々諾々と従うべきなんて決して思っていない。専門的見地があれば、もちろんあればだが、積極的に声を上げるべきだろう。
専門的見地なんてなくても、人をほっこりさせてくれるネタなら別にいい。
でも混沌の状態に、でかい声だけ発しむやみな行動をして、それは一体誰のためなのか。どういう立ち位置なのか。

働かないおじさんは、遊んでて給料がもらえるが、フリーランスは収入が途絶えている。
世間は政府に対し、補償をよこせブームになってるが、でもちょっと違うんじゃないか。
私もフリーランスだから、もらえるものがあれば助かるし、喜んでもらう。
でも乞食じゃない。どこから原資を捻出するんだという疑念だって持っている。

パチンコ屋はなぜ開いていて、誰も行くなと言わないのだと、世間はお上の姿勢を糾弾している。まあ、警察と癒着した業界なのは周知の事実。
でも仮に、パチンコ業界自身が、「コロナ感染予防のため閉店しますから補償してください」って言ったら、世間や、お上を糾弾している人たちはそれをよしとするのか?
パチンコを巡る発言からは実のところ「パチンコ屋なんて世間に不要だ」という本音・偏見だけが改めて浮かび上がってくる。偏見は今、なんの役にも立たない。
私だって、パチンコが世間に必要なものとはまったく思っていない。だが、自分自身の持つ偏見への自覚ぐらいは常にある。

物事は単純ではない。どんな事象だって、角度によって見え方は異なる。
政府や都がやっていることを、単純に批判だけよくできるよなと思って呆れる。インフルエンサーでもないので、お上から見たらガス抜きレベルに過ぎないが。
落語界に範囲を狭めてみても、構造はまったく同じ。
志村けんショックの前において、「自粛を迫る側は絶対の悪」「抗うのが絶対の正義」という認識で自粛ムードに立ち向かった人は、噺家にもファンにも多いのではないか。
その後、世情が揺れ動くのに連れて、こっそり意見を修正した人も多いはず。
みっともない。
意見を変えることまでがすべてみっともないとは言わない。こんな状況下では仕方ない気もする。
ただ、いちばん最初に、絶対の正義を勝手に打ち出して吠えた行為自体は、状況がどう変動しようが絶対にみっともない。
吠えた人の、極めて単純な脳ミソの正体だけが残ってしまう。

これこそまさに、ツイッターで世間を騒がし続ける立川雲水の正体なのだ。
もともと無知無教養であって、正義など打ち出しようのない人間。
だがあるときいきなり、どこからか自分なりの正義を持ってきた。世間からは、左翼として見られる立ち位置。
だがその正義を採用する理由は、他人を見下して気持ちよくなるという生理欲求以外に実はないのである。自分の嫌いな師匠・談志とも違う道を行けて、なんとなく復讐心も満足させられるし。
ウーマン村本もまったく同じ。真の左翼なら、弱いものに対する共感が必要だが、そんなものはもともと持っていない。
「補償」と「保証」の違いもわからない無知蒙昧の輩が偉そうにしているのを見て、あ、偉いねという人はそうそういない。
この人たちには、世間の大多数を自分がバカにしていて、「お前が言うな」と反撃されているのだという自覚がない。
自分だけはバカにされる対象には入っていないと勝手に思い込んでいる、傲慢な同類しか相手にできない。こんな不毛な構造は、ワンセットで世間からお引き取りいただいて当たり前。
そういえば、雲水が村本をバカにしたツイートを見た覚えがある。目クソ鼻クソ。
雲水、仕事はもともと全然ないので、落語会が潰れて嘆くということがない。ある種の高等遊民ともいえなくはない。
かつてテメエが「クソボンクラ」と呼んで馬鹿にしていたキウイと同類。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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