当ブログの記事、ツイッターによくリンクが張られている。
それは別に構わない。新たな読者が来てくれるかもしれないから、お礼も言いたい。
ただ、リンク先の記事について雑な扱いをされると、書き手としては当たり前だが愉快じゃない。
今回もまた、そんなことが。
「立川流の迷走」は当ブログの人気記事であるが、これを同じ人が、別の3つのツイートにわざわざ張っていった。
フィギュアの人ほどインフルエンサーではないようで、ブログのアクセスは微増にとどまっているけども。
ツイートを追うと、世間の評価として、ネトウヨに分類される人のようだ。
本人が「保守」だと言ったとしても、左翼からはネトウヨ認定されるだろう。
ああ、俺もネトウヨに親近感を覚えられるようになったのか。そう思って、やや落ち込んでいるのである。
立川談四楼や立川雲水のことが嫌いなのは、彼らが左翼だからではない。そもそもちゃんとした左翼じゃない。
噺家の了見から、あまりにも外れているから嫌なのだ。
ネットの暴言で自殺した気の毒な人のニュースが世間を騒がせているが、その基準でいえば、一国の宰相をクソ呼ばわりしている雲水など、もっとも非難されるべきだろうと思う。
自分で決めた正義ほど、脆いものはない。
さて、コロナの緊急事態宣言が終わった。
コロナは、人間を3種類に分類したと思うのだ。
すなわち、
- コロナバカ
- おとなしくしている普通の人
- 自粛警察
である。
日本のコロナ蔓延が少なく済んだのはさまざまな理由があるから断言はできない。
でも、国民ひとりひとりの自覚が高かったことは否定できなさそうだ。
普通の人たちが、結局コロナの蔓延を防いだ。
そして私も、この普通の人に分類される。
実はその事実については、自分でも驚いている。
もともとコロナの前から、人間にはこの3種類がいたのだと思う。
アッキーや手越はもちろん、コロナバカ。
コロナバカは行動の基準がもともと違っている。自分のしたことがまるで理解できないし、理解させようとしてもムダ。
その対極で、自分のことをまともだと思う人の中にも、バカがいた。それが自粛警察。
コロナバカと自粛警察は、実のところ極めてよく似た人間である。
コロナバカは他人にも自分にも甘い。自粛警察は他人にも自分にも厳しい。
その点は違うが、社会における「標準」が確立していない点において、大差はない。
このコロナ3分類、政権に対する見方にそのままスライドすることに気づいた。
- ネトウヨ
- 事象ひとつひとつを個別に判断する人
- アベガー
アベガーというのは、自粛警察とパラレル。
「正義」をもっとも大事にする人たち。正義ってなんなのさ。
他方、コロナバカがネトウヨ。
ちなみに、コロナバカ≒ネトウヨにもひとつだけいいところがある。
アベガー≒自粛警察よりは、思想が柔軟なこと。
アッキーというのは、日本一思想の柔軟な人である。柔軟なので、平気で大麻解禁をとか言えてしまうのだ。
柔軟だから、スピリチュアル大好きなのだ。
アッキーはともかく、ネトウヨについては思想が柔軟なはずないって? いやいや、陰謀説を唱えてばかりの人たちよりは柔軟だと思うよ。
賢いとは別に言ってませんが。
世の中実のところ、大多数の人は柔軟だ。そう思っていないのが、ネトウヨとアベガーなのだ。
多くの人は、高井議員に怒り、蓮舫に怒り、検察定年に怒り、麻雀による濃厚接触に怒っている。
世間の多数が結構柔軟だということを、最近、「好き嫌い.com」で確認している。
有名人を好きか嫌いかに二分して投票するこのサイト、現在は「不人気ランキング」の順位がこうなっている。
- 石田純一
- ラサール石井
- 堀江貴文
- 安倍昭恵
- 安倍晋三
めちゃくちゃバランスが取れているではないですか。
これがつまり、世間なんですよ。
ひとりひとりは、やや「嫌い」を多めに入れていくのだろう。だが、トータルにしたとき、明らかな傾向が見えてくる。
ラサール石井に「嫌い」を入れる人は、首相については必ず「好き」を入れると思う?
アッキーもホリエモンも、世間ではお仲間なのだ。
ちなみに、立川流の噺家の、「嫌い」比率は次の通り。
- 談四楼・・・91.57%
- 雲水・・・97.3%
- 志らく・・・71.76%
- 志の輔・・・40.49%
- 談春・・・39.53%
すごいぞ雲水。
さすが、「アベよりましな人がいない」と自民党に入れる連中について、「アベよりましでなかった人を知らない」と上からバカにしておきながら、その一方で大阪維新を支持する大阪人を罵るだけのことはある。
どんな論理力でそうなるんだ。