立川志ら乃師の「火焔太鼓」。最初はちょっとなと思ったのだが、繰り返し聴いたら慣れてきた。
他団体にはいないリズムの語りだが、ひとつの体系を作り上げた語り口にはなっているのだなと。師匠そっくりだから唯一無二とはいえないにせよ。
ギャグの入れすぎも、そういう方針でできあがっているなら、どうこういうべきものでもないし。
ただし「小判」を「ジェームズ」でボケるネタはなんだかな。
荒野の七人などのジェームズ・コバーン。
師匠・志らくが喜ぶと思って入れてるんだろうな、なんて。
さて第2回も、インテリを前面に打ち出してしまう米粒写経。
居島一平が、江戸時代の通貨価値について語りだす。
通貨改鋳があって江戸の前期後期で価値が変わっちゃって、それで「首が飛ぶ」額の10両がいくらかわからないのだと。ちょっと乱暴だな。
「改鋳によりインフレが生じ」までちゃんと挟んでおかないと、火焔太鼓の中でもってなにを語ってるのだかわからない。
このあたり、言いたいから言ってるという自覚はあるようで、脱線しちゃうけどいい?と断っている。
ゲストの塙はまるで興味がないらしく、死んだ目をして居島を眺めている。
興味がないのは、笑いにつながっていないからだろう。
サンキュータツオは、この噺のさむらいはものわかりがよくて珍しいと語る。
江戸の町人だって侍は苦手だから、ひどい目に遭わせる噺のほうを好んだと。
私の認識とは違うな。落語に詳しい人なのに、見ているものがまるで違う。
侍をひどい目に遭わせるのは「たがや」ぐらいな気がするのだが。これは明らかに、江戸末期の力を持つようになった職人文化を背景にしているが、この噺すらできた当初はたが屋の首が飛んでいた。
あと、悪意を持って描くのが「棒鱈」「万病円」。
いっぽう、いい侍が出てくる噺のほうがいくらでも指を折れる。大岡もののほか「松曳き」「粗忽の使者」「柳田格之進」「井戸の茶碗」「目黒のさんま」「禁酒番屋」「二番煎じ」「普段の袴」「猫久」「花見の仇討」「宿屋仇」「紋三郎稲荷」「岸柳島(これは悪いほうも)」。
首提灯だって、ひどい目に遭うのは町人のほうだ。
この番組を取り上げた最大の理由。ナイツ塙の芸談。
直前のシーンがカットされていて、どうつながったのかわからないが、「落語はアレンジできる」「長さもだんだん短くなってきた」というあたりからと思われる。
ある日、とても疲れていた塙。
タイ古式マッサージを受けてから舞台に立つ。
もう喋りたくない気持ち。なので本来5分ぐらいのネタを、いつもよりうんと時間を掛けて喋ってみる。
そうしたら大ウケ。
ナイツの漫才には掛け合いがなく、すべてボケ側からの発信なので、スピードを替えるなんて自由自在なのだ。
ネタを作らない土屋は、そもそも塙がどうボケてくるかを把握していない。急にテンポが遅くなっても、(戸惑いつつ)ちゃんと仕事ができる。
ここで「予定調和」の弊害を語る塙。
名前出しちゃって悪いがと。タイムマシーン3号、磁石、それから受賞歴はあるがノンスタイルがどうして今一つブレイクしないか。
ツッコミが一緒にネタを考えているコンビは、予定調和になってしまう。本番が、練習の成果になってしまう。
最大瞬間が来ないのだ。
以前私の書いた記事。
以前書いているように、今回のトークのネタ、初耳ではない。
にもかかわらず、やたらと面白かった。やはり語り口と、そしてマジな話なのにマジになりすぎない独特の浮遊感。
レベルの高い漫才師が、漫才のようにウケを獲っている。そしてその中身が実は非常に固い話。
インテリを前面に押し出して、笑いのない話を続ける米粒写経より、塙の語りのほうがはるかにインテリジェンスが高い。
そして寄席に来る人が妙に気合を入れて聴いていたとしても、毎日やってるこちらのほうはなんの思い入れもないんだと。
居島がフォローして、別に手を抜いてるわけじゃないんですよねと。
そうそう。寄席とは緩いものであります。
練習しないナイツの話をすると、これは当然なのだが相方の評価が高くなる。土屋さんはすごいんですねと。
聴いているほうだってそう思う。
だが、これで終わらない塙。
世間の人は土屋がものすごく上手いって言うんですけど、アイツすごくないですよ。俺が上手いんです。
俺から始めないとなにもできないんだから。
なんだかたけしさんに褒められて調子に乗ってますけど、すごくないです。
サンキュータツオが、ここだけ観た人に、塙さんクズ扱いされますよと。
しかし、こんなことをテレビで言って、もちろん塙の評価は下がらないし、土屋の評価はどんどん上がるのである。
すばらしいね。この相方disだって、決して初めて聴くわけじゃない。
番組の最後、居島が言う。
舞台にお爺さんどうしで出て、セリフも出てこないがなんだか面白い人になりたいと。
塙が、「それナンセンス師匠です」。居島に同意して、そうなりたいですねと。