昨年「拝鈍亭」に瀧川鯉昇師を聴きにいった。今年も行こうと思ったのだが、〆切をやっつけないとなりません。
その前にテレビの落語からネタを。
新しい局、BSよしもととBS松竹東急でもって、ちょくちょく古い落語の番組が録れる。ありがたいことである。
花王名人劇場の再放送でも、落語がたびたび放送されている。そのすべてを当ブログで取り上げるわけではないけども、毎回刺激に満ちて観ている。
しかし吉本興業、今のほうが盛況を極めてはいるものの、あの頃も別の意味で目立っていたのだなと。
所属タレントだけで番組がまかなえなかった分、東京の噺家でもって実に多くの番組をこしらえていたのだ。
その番組には、おおむね桂文珍師が呼ばれている。もちろん、先代文枝、当代文枝(三枝)、仁鶴、八方など吉本にも多くの噺家はいたわけだが、東京にぶつける際の鉄砲玉には文珍師が目立つ。
この流れ、今ゼロだものね。
吉本はもう、落語の番組は作らない。東京落語界が吉本に見放されたという言い方もできるわけだ。
個人的には、東京落語界が吉本の支配下にあるのも困るいっぽうで、あの頃の状態も多少は戻らないかなと。
当時の空気は、東京落語界が大阪に占拠された世界を描く、三遊亭円丈師の「パニックイン落語界’80」なんて作品に漂っている。
さて、40年前の放送である。1982年(昭和57年)だ。
会場はいつものように国立演芸場。今でもおなじみの「喜色是人生」の掛け軸が掛かっている。
春風亭柳昇が芸術祭賞を獲ったというので、その特集。共演は、三遊亭円丈、桂文珍。
新作落語の特集だ。
文珍師は今でも新作を手掛けているけども、むしろ古典の大作で名を上げている。だが当時はまさに新作の新星だったのだ。
冒頭、柳昇が出てきて、円丈、文珍両師から花束をもらう。
柳昇、文珍に向けて「大阪からわざわざどうも」。そして円丈師に「埼玉からわざわざどうも」。
埼玉じゃなくて足立区だけども。悲しみは埼玉に向けてのイメージかも。
ちなみに「芸術祭賞」としかクレジットがないが、大賞ではなく、優秀賞。もちろん立派なものだ。
新作で獲れたのが嬉しいと柳昇。われわれの協会(芸術協会)の会長・米丸も喜んでくれてますとのこと。
今でこそ新作落語のパイオニアは円丈ということになっているが、歴史的にはちゃんと芸協新作の流れを汲んだ柳昇落語が隆盛を極めていた時代があった。
そして芸協新作は滅びたが、柳昇新作はちゃんと残っているから面白い。
そのあと、柳昇の一門の人がずらっと並び、軽い挨拶をするのだが、わかる人とわからない人がいる。
- 昔昔亭桃太郎
- 春風亭梅枝(のちに退会して春風亭華柳)
- 春風亭栄橋
- 春風亭扇枝
- 春風亭愛昇(どなた?)
- 春風亭柳橋(先代)
- 春風亭柳太郎(のちの春風亭柳桜)
- 春風亭昇八(のちの春風亭昇太)
春風亭小柳枝、瀧川鯉昇のふたりも弟子だが、この場にはいなかった。
40年前の桃ちゃんは実に若い。
愛昇(きっとこういう字を書くのだろう)という人については調べてもわからない。名乗る際「弟子の」と頭につけているのだが。
栄橋という人は、「またの名をパーキンソンの栄橋です」と語る。本当にパーキンソン病だった人。
柳桜という人もまた、闘病で有名だった人。ビュルガー病で両足切断の憂き目にあったが高座に上がり続けたという。もっともこの頃は一介の前座・柳太郎だ。
最後に出てきたのが、やはり前座の昇八。何の注釈もないが、のちの昇太師匠。若い。
これだけ一門が並ぶ中、柳昇を継ぐのはこの人だとずっと言われ続けている。たぶんご本人は継がないから、昇太師の弟子が継ぐと思っていた(扇橋方式)ら、今のところ3人真打に昇進して誰にも継がせていない。
この後は継げるほどの大物、いなそうだが。まあ、そんな話はよろしい。
栄橋、柳橋のふたりはすでに芸術祭優秀賞を受賞していたので、柳昇がそれについて触れる。
栄橋、「(2年前のあれは)ものの弾み」だと。そして「真打は後から」とヨイショ。
そして胴上げされる師匠。音頭を取っているのは、誰だかわからない愛昇。
この後、わざわざこの日のために作ったらしい主題歌と(贅沢ですね)、3人の立トークに続き、文珍、円丈、柳昇の順に新作落語を披露するのだが、冒頭だけで記事ができてしまったので、また今度。
はじめまして。いつも楽しく読ませていただいております。
春風亭愛昇さんですが、柳條の名で真打ちになり、その後フリーになり「おきらく亭はち好」の名で沖縄で活動していた方ではないでしょうか?
奉公人さん、情報ありがとうございます。
おきらく亭はち好という人ならば存在は知っています。Wikipediaで、二ツ目時代の名が愛昇であることも確認できました。
しかし柳昇からは調べられませんでした。
柳昇、放映の時点で十分おじいさんなのに、このあとも怒涛のように弟子を獲っていくわけで、すごいです。