阿佐ヶ谷アートスペースプロットの入船亭遊京2(下・「壺算」「唐茄子屋政談」)

先輩の楽しいマクラから入った遊京さんの壺算、実に見事な一席。
昨日触れた通り、遊京さんはホームポジションを大事にしている。
ムダに弾まず落ち着いた語りだが、一方で常にハネる余地が設けてある。といいつつ、壺算においてはギリギリハネない。
記号である登場人物に、マクラと同様の薄い感情を乗せていく。
本寸法という便利な言葉にピッタリだが、こんなマジックワードで評してはもったいない。

そして、新たなサゲを用意する。劇的にではなく、こんなのもあるよという感じでひっそり。
思えば時そばがそうだった。
あちらもサゲの改変をひっそり。そしてハネる余地を残しつつハネきらない。
これが快を生む。

壺算の場合、この仕上がった世界を壊して失敗するのはわりと簡単。
甚兵衛さんぽい弟分に、感情の起伏を持たせればいい。
アニイ(遊京さんのものではよっさん)、俺の買いたいのは1荷の甕だよというのを、アニイの交渉中にぶっつけるなんてのが。
あと、弟分が喜びすぎるというのもよくなかろう。
ここを我慢できていると、世界が一気に膨らむと思う。

他にも工夫がいっぱいだが、全部ひっそりと。
ぼんやりした弟分は、買い物天狗(というワードは出なかったが)のアニイの前に、状況が飲み込めない。
これを「夢?」と繰り返し表現する。

そして1荷の甕3円と、現金3円で6円にする際、店主に、「手順をひとつ省いたんですな」と言わせている。
いくら落語とはいえ本物の商人が騙されるはずはないのを、いかにスムーズに描くか、その腐心が伝わってくる。

混乱した店主が、甕を持って帰ってくれとなるが、アニイはなんと「悪かったな」と1円置いていく。
店主しばし考えて、「儲かった」。
儲かったんなら幸せだ。

1席めはマクラ含み30分。
ネタ出し唐茄子屋政談は、30分で吉原田圃まで。そこで終わりそうな気配だったが、残り10分強でフルバージョンをやり切る。
昨年ここで聴いたのをすっかり忘れていたのだが、既視感は薄かった。
忘れていたわりには1年前、しっかり書き残している。そのバージョンと、実際に結構違うのだった。
いかにも来年の披露目で出そうな噺だが、常に動かし続けるのだ。

親戚一同、若旦那勘当のシーンが短くなっていた。
とりなしてくれるおばさんも、後で腹ペコ若旦那が訪れるおばさんも出てこない。
おじさんが天秤棒持ち上げようとして上がらない場面は前回あったかな。

遊京さんの、最も低位に置いたホームポジションから上を伺う手法は、唐茄子屋政談において最も活かされるのではなかろうか。
おじさんが、かぼちゃ売り歩きたくない若旦那を叱りつける場面と、クライマックスの因業大家との闘いにおいて、一気にハイテンション。
ただ、遊京さんはすっとホームポジションに戻る。
一瞬の爆発が噺にアクセントを残していく。

おじさんの爆発は、ちゃんと描写はするけれど、さらに薄まっていた気がする。古典落語ほど、現代に合わせていかないと。
と言って遊京さんは、「若旦那が納得して出かける」なんてところまで描いたりもしない。
客に意味を押し付けたりはしないのだ。

前半のクライマックスというべき、おアニイさんがかぼちゃを売ってくれる場面は実に良かった。
ほんのちょっと描写される町内のキャラたちの生活ぶりが実にイキイキしていて。
記号的だからこそ、イキイキ活躍するという、これぞ落語の逆説。
半公が「俺りゃガチャガチャじゃねえや」は入っていて嬉しい。
知らなきゃガチャガチャがなんなのかわからないから、抜いたっていいんだが。だが、たとえわからなくてもパワーワード。

色々あった激動の2日間を、そしてさらに花魁のことを、吉原田圃で掛け声の稽古しながら振り返る。
実にしみじみ。
かつては綺羅びやかな向こう側から、そして今は天秤棒担いで向こうを眺める。
誰にだってこういうことはある。これが人生。
私は、ここで終わって欲しいと思ったのだった。
こんなところで終わったら政談にもならないし、物足りないという向きもあろうが。
でも、来秋の披露目で出すとしたらここまでだろう。

吉原田圃でたっぷりしみじみのあと、誓願寺店へ。
さすがにややダイジェストぽくはなる。

遊京さんはまた腕を上げていた。実に幸せな、1時間40分。
NHK新人大賞はどうかなあ。頑張ってほしいが、あそこに合う芸風ではない。
ただ、昇進後はブレイク必至と思っている。マクラも楽しい。
鈴本のトリが早めに決まると予想。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 派手さはありませんが、王道とか本寸法という言葉が最も似合う噺家だと、私は勝手に思っています。
    来年は、落語協会で、春と秋で10人の真打が誕生します。
    その中で自分色を出しながらブレイクするのは大変だと思いますが、できない人ではないとも思っています。
    噺に真摯に向き合い、常に工夫している、その姿勢は続けてほしいものです。
    私も応援します。

    1. ご賛同いただきまして幸いです。
      よく考えたら、遊京さんで外れたことは一度もないですね。
      安定のアベレージです。抜かされ大量真打からも名人は出るでしょう。

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