花いち師の新作落語「いいからいいから」は旅先における仲良しおばさんたちの静かなる闘いを描く快作。
以前らくごカフェの一門会で聴いた際は、4人での旅行中、3人のおばさんが登場する設定だった。
その後3人旅に変わったみたい。おばさんというより、お婆さんに近い人たちだろう。
おばさんたちの大げさな「いいからいいから」という所作が繰り返し現れ、全体を引き締める。
実に不思議だが、この作品に心を洗われた気分になったのである。
なぜそんな気持ちになったか明確に理解できたわけではない。ただ落語の中のおばさんに「愛おしい」という感情を抱いてしまった。
共感を突き抜けて、なんだかもう愛おしい。
別に人情噺ではなく、ひたすら楽しい噺。それでもなお。
花いち師は女性のファンが多いという印象なのだが、この作品など聴いてると非常によくわかる。
この「いいからいいから」に出てくるおばさんたちの感性には、非常にリアリティがある。登場人物そのもののリアリティではなくて。
これは必ずしも女性だけが持つ感性というわけではなくて、男だって「納得行かないけどもお互い様だし、あえてことを荒立てるのもよくないから我慢しよう」と思うことは多々あるだろう。
私はスカっと系の仕事に活かすためでもあるが、好きで女性向けのコミックエッセイをよく読んでいる。
ママ友の中に、しばしばすごいセコママがいるらしい。
お茶をしたあと、必ず「財布忘れちゃった」と言ってたかるママというテーマは本当に頻出。
そこまで確信的にたかっているわけではなさそうだが、この落語のひとりのおばさんはわりと厚かましい。
本当に数百円単位の勘定をツケてもらっている。
このセコおばさんが、旅行の最後に缶コーヒー代を多めに出そうとするので、ついに今まで支出を続けてきた相手方はキレる。そんなもんじゃおさまらないんですけど。
バス代、拝観料、おやつ代(それも、本当は半分こしたくなかった)などありとあらゆる勘定についてセコおばさんに精算を迫る。
セコおばさんも観念して支払うのだが、いやがらせに1円玉20枚を出したり、ギザ十だから倍の価値があるなどとなおも抵抗している。
キャッシュレス時代ならではの予防線も張ってあって、セコおばさんは「PASMOだめ?」とか「WAONだめ?」などとなおも訊いている。
まあ、これはPayPayで送金したら解決するんだけども。
水色の羽織を着直したのは、これを富士山に見立てて記念撮影するため。
客に尻を向け、羽織の裾を広げて表現する富士山。
前回もこれ出ていたのだが、忘れていた。
すいませんと演者に返って詫びる花いち師。
セコおばさんとこれで疎遠になるようだとコミックエッセイのオチになるが、落語なのでもう少し平和。
被害者おばさんもまた、3人目のおばさんにとっては加害者であったという。
繰り返すが、本当にこの噺に心洗われたのである。
どろどろの結末ではなく、あくまでもハッピーエンドの装いなのもある。
この人たちは凝りもせず来年も一緒に旅行に行くのでしょう。
一席終わってメクリに気づき、釈明しながら「仲入り」にする。
休憩後もう1席。
着換えている。メクリを初めて「柳家花いち」に替える。
この会では、二席めを新作落語にしています。
最後は古典をやりますけど、私の古典は新作に見えるみたいで。
こないだ古典落語やって、見事な新作落語ですねって褒められました。
本編は茶の湯。これも一度、らくごカフェの「くろい足袋の会」で聴いた。
なんだか、まるでわからないのだがやたら面白い一席。
しかも前回面白さの頂点だと思った、茶碗を回す所作は今回別にウケてないのだった。
そこがなくても、いくらでもウケどころがある。ちょっとビックリ。
と言いつつ、どこがウケどころなのか聴きながらわからないし、あとで思い出せもしない。
なのにずっと面白い。別にことさらにギャグでウケてるわけじゃないのだ。
ちょっと突っ込んで考えてみると、茶の湯は登場人物がみなふざけている噺。
ふざけた演者と極めてマッチしてるのだろう。実になんとも、幸せなことである。
さすがの花いち茶の湯も、利休饅頭から先は駆け足になる。
このあたりまだいじれるんじゃないだろうか。
浜松の先輩、鯉昇師だったらこの前にサゲちゃいそう。実際には鯉昇師だってそんな茶の湯はやってないけど。
でも、そんなのとかどうでしょうか?
とにかく非常にスッキリして帰途についた。
ストレスに柳家花いち。よく効きます。