仲入り休憩を挟み、最後にネタ出しの愛宕山。
時間は4時まであるのだが、3時40分に終わってしまったのだけちょっと残念。
ネタ出しの愛宕山は、日本の話芸サイズできっちり30分ほどだった。もう少し長いのが聴きたいななんてちょっとだけ思う。
いや、これはデキの問題ではありません。ハメものたっぷりの、楽しい一席でした。
愛宕山というのは東西とも、ストーリーは一本道。細かいシチュエーションを楽しむ噺だと思う。
東京で聴くのと違うのは、二人の幇間、主人公の一八ともうひとり、旦那の命で一八の背中をつく茂八が同格なこと。
そして一八は、どこへ連れていかれるのか把握していない。いきなり山登りである。
こないな山ぐらいと憎まれ口を叩くのだが、おかげでお弁当全部背負わされる羽目になる。弁当て重いんやなとつぶやく一八。
旦さんは最初から小判投げをしようとは思っていない。一八が、大坂の旦那衆やったらゼニ投げまっせと憎まれ口を叩くので、ほなと旦さんが小判を取り出すのだ。
旦那に憎まれ口を叩くのが一八のヨイショになる。旦那は常に憎まれ口の上を行くのである。
かわらけ投げも偉そうに言ってさっぱりの一八。旦那は愉快。
一八は旦那に対していささか偉そうに見えるのだが、これで旦那が喜んでるわけで、実のところ大事な仕事をしているのだ。
一八がもともと大坂をしくじったのは、この絶妙の距離感を間違えたのかもしれないなんて思う。
南天師はどこかおちょくり口調なので、一八にぴったり。
舞妓さんにちょうちょを取ってくれと頼まれ挑む場面もあった。
ここもハメものたっぷり。一匹も獲れないのだけど。
ちょうちょの前でくるくる指を回し、とんぼとちゃいまっせとツッコまれる。
一八が谷に降りるため使う傘は、野点用の大きなものだった。番傘なんかよりこっちのほうがリアルである。
これならなんとか下まで降りられるのではないかという気がする。実際にやったらえらいことになるけど。
茂八に背中を突き飛ばされ、傘を振り回しながら落ちていくときは当然ハメものが大活躍。
人間カタパルトを作る際、一八は必死で力を込め、竹をしならせている。
よく考えたら、そのぐらいしないと人間飛ばない。いや、どんなにしならせても飛んではいかないと思うけども。
噺の中のリアルなウソ。
また南天師の会があれば来たいものだ。
上方落語の中堅どころは、最近はスタジオフォーや梶原いろは亭が多いと思うが、そちらには出ないだろうか。
帰りは東京駅まで歩いた。15分程度で近いものである。
アートスペース兜座は兜町であり、最寄り駅は茅場町だが、日本橋からも近い。いいロケーション。
ここでは今年秋の落語協会新真打5人が会をやってますね。そのうちのひとり吉原馬雀さんは、師匠・朝馬とともにパワハラを考える会なんて開催している。
最近は土曜日、吉弥師のラジオを聴いている。
南天師が師匠の車のサポートをしようとして転倒したエピソード、いかにも吉弥師が語りそうな気がするが、今のところ出ていない。
今日のブログは短めです。

