鈴本演芸場12 その4(五街道雲助「木乃伊取り」)

トリは人間国宝、五街道雲助師。
トリ前に再度「携帯電話の電源」についてスタッフの注意が入る点鈴本は丁寧だ。

楽日のこの日、ネタ出し演目は「木乃伊取り」。
あまり聴く噺ではない。私も落語研究会の雲助、扇遊師で聴いただけ。
そもそもサイズ的に寄席ではやりづらかろう。
仲入り後には「20時終演予定だが10分前後延びることがある」とアナウンスが入ったが、たっぷり20分延びて50分の大長講。

ここまでの9日間。

  • お見立て
  • 干物箱
  • 明烏
  • 幾代餅
  • 居残り佐平次
  • お直し
  • 五人廻し
  • 品川心中
  • 付き馬

ゾクゾクするラインナップだが、木乃伊取りもかなり好き。

落語研究会に出た小痴楽師のネタ。雲助師に
「いいですね、あのきのいとり」
「前座からやり直しなさい」

木乃伊取りの原型は上方落語の茶屋迎いであろうか。
これも珍しいが、最近割と聴く。
茶屋迎いの前半が「木乃伊取り」に、後半が「不孝者」になったのだと思うのだが。
迎えの人間が次々吉原に取り込まれるモチーフを、人情味を加えて膨らませた見事な噺。
といっても、この人情裏切られ、完全なる滑稽噺で終わるのも好き。

「べらぼう〜雲助廓乃御伽噺」ということで、今日が楽日でございます。
あのべらぼうも視聴率がだんだん落ちてきたということで、楽屋では左龍が出たからだろうということになっております。

左龍師出たのか。知らなかった。
べらぼうの録画がたまっているもので。
まとめて観ようと思うと、驚くぐらい骨太なので、続けては2話が限界。
ともかくべらぼうも面白い。
古典落語の好きな人で、べらぼう嫌いという人はちょっと考えられない。

劇中でも触れられるが、「ミイラ取りがミイラになる」がテーマ。
放蕩若旦那が吉原で遊んで帰ってこない。どうやら角海老にいるらしい。
固い番頭が迎えに行くが帰ってこない。
屈強なカシラを迎えに出すが帰ってこない。
ついに飯炊きの清造が志願して出向く。

落語研究会で出た雲助師の「木乃伊取り」は繰り返し聴いた。
しかし現場で向かい合うと、まだまだ出てくるので嬉しい。

吉原遊びのやまない若旦那は、かつては部屋に閉じこもって本ばかり読んでいたそうだ。
この子が粋な遊びを覚えて、カシラは感心している。
「田所町」というキーワードが出て思った。この若旦那、「明烏」のうぶなお兄ちゃんの成れの果て?
雲助師はそのつもりでやってるかも?

実際には、大旦那の造形が明烏とまるで違うので、同一人物ではあり得ない。
でも、こんな裏ストーリーもいいなと思った。

あとは大旦那とおかみさんの瞬時の描きわけ。
映像で見たほうがわかりやすそうに思うのだが、そうではない。
現場では「あ、女になった」が一瞬で伝わってくる。
細かいテクニックとしては、膝に置いた左手。これでたちまちおかみさんになる。
後半に出てくる清造の相方(敵娼)は、膝に右手を置いていた。

そして飯炊きの清造。
雲助師が地のセリフでもって、清造のなりを描写する。
ヒゲぼうぼうで髪も伸ばし放題。頬にはヒゲが渦を巻いている。
そして一本眉。
この瞬間立体的な飯炊きが、マンガのように高座に出現した。
洗練された遊びの地、吉原と対極の人間。
しかも吉原でも、格式高い角海老だ。

雲助師の描くきらびやかな廓の世界に、最も似つかわしくない飯炊きが現れる。
廓の世界も、野卑な飯炊きも、どちらもイキイキ描かれる点が素晴らしい。
どちらもイキイキしているのに、最後まで食い違ったままなのも、冷静に振り返るとウソみたいな。

噺のイメージとしては、「野暮な清造もやっぱりミイラ取りになった」である。
でも本当は別にそうじゃない。
若旦那一同が清造を籠絡しているイメージも確かに持ってはいるのだが、実際は違う。
若旦那だって、仕事しなきゃいけない番当、カシラも引き連れてる。
馬鹿じゃないので、そろそろ潮時なのもわかってる。そこにちょうど迎えが来た。
シャレとして抵抗したが、本気じゃない。
酒だって、策略で3杯立て続けに飲ませたわけでもない。

清造を籠絡したのは廓そのものである。
びっくりするほど上手い酒。見たことないほどきれいなおなご。
聴いたことのない三味線。
そして臨時に清造に付く敵娼の、こんなところで発揮しなくてもいい籠絡テクニック。
清造のもじゃもじゃの体毛をかき回して「もくぞう蟹みたい」これでノックアウト。

実際には江戸時代この方、落語の客でこんな凄い遊びのできた人はそうそういない。
でも庶民にも、廓の楽しさは共通認識としてあったわけだ。
こういう楽しい噺は後世まで残していきたいものであります。

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