米團治喬太郎よこはま落語会 その5(桂米團治「はてなの茶碗」)

米團治師が、京都と大阪の違いをたっぷり振ってから入るのははてなの茶碗。
本当に見事な一席で。

新しいクスグリであるとか、新たな展開であるとか、そういう派手なものは一切ない。
ストーリーも極力刈り込んでいくもの。バッサリとではなく、シーンひとつずつが、ほんの少しずつ短めのようだ。
端折った感はなく、あらゆるシーンに退屈を覚える部分がない。
快がどんどん貯まっていく。

一見普通の落語だが、普通でないものがひとつ。大きな所作である。
油屋さん、金儲けのアテが外れてここぞとばかり座布団の上でひっくり返っている。
これは喬太郎師など、新作の人が使う技法ではないか。
ここだけでなく、全体的に所作が大きく、激しい。
こうしたところからも、米團治師の対抗心を勝手に感じたのである。
意識しているのは共演者ではなく、大きな会場だとも考えられるが、まあどちらでもいいじゃないですか。両方かもしれないし。

米團治師、小米朝の頃は劣化版米朝コピーという評価だったと思う。
テレビでたまに観るだけの私がそう感じていたのだから、実際そうだったのではないか。
米團治の名跡だって、もともとは早逝した吉朝が継ぐ予定だったわけで。
当時のイメージのまま感性を干からびさせてしまっている落語好きも無数にいるであろう。

米團治師は、父親のエピソードを大事にし語り続ける一方で、本芸については米朝を追うのをやめたのだろう。
米朝のやらない大きな所作にもそれが現れている。
さらに言うなら、必ず語る「米朝のエピソード」だって、実はこれこそオリジナリティの塊なわけで。
米朝自身は古いタイプの噺家で、マクラで漫談をするなんてことはしなかった。
「親父の話で食いつないでいる」なんて評価をする人がいるとしたら、見当違いも甚だしい。
いや、そんな人を具体的に知ってるわけじゃないが、いかにもいそうな気がするもので。
噺家人生において東京落語の人情噺「浜野矩隨」を実現したのが米團治師なのである。

ではどうしてこうなれたか。
オペラであるとか芝居であるとか、他芸に貪欲に取り組んだ効果は見逃せないと思う。
師は今や偉大なるマエストロ。高座から、客の感覚、登場人物の動き、全てを支配するようになったのだ。
この日の横浜の舞台、米團治師は私にとってまさに名人であった。

喬太郎師もそうだが、噺家も芝居やらいろいろやることで血肉になる。本業に役立つかどうかは人それぞれだろうが。
米團治師の場合、米朝事務所の社長も経験した。
これはうまくいかなかったのかもしれないが、それでも人間的には厚みを増した。

卑俗な要素では、米團治師のモノマネ好きも見逃せないと思う。
モノマネは対象をよく見ていないとできないわけだ。
対象をよく見て、自分のやっているモノマネ自体もよく観察する。
学ぶとは、真似ぶから来ている。そう言うではないですか。

さて大きな所作を除くと一見普通に見えるはてなの茶碗。
登場人物の感情が、非常に大事にされてるなという感覚を持った。
こんな部分。

  • 清水、音羽の滝の茶店の主人は、「儲け確定」とまでは思っていない。ひょっとするとチャンスがあるかも、このチャンスを逃したくない
  • 油屋のほうは、もっとずっと前のめり。しくじる可能性はそれほど考えていない
  • 茶店の茶碗争いは、執着の強いほうが勝ったのであり、油屋は「泥棒」の評価にはならない
  • 茶金さんの店では、油屋を露骨に侮りはしない。ヤカラが来たとは思っているが丁重に扱ってはいる。ただ、番頭の普通の態度で油屋が立腹する
  • 茶金さんは、思い切った商売をした油屋に心底感服しており、自分の名を買ってくれたことにも感謝している(3両の金を恵んでやる意識ではない)
  • はてなの茶碗が誕生するまでの公家、帝のくだりは感情を抜きに進められる
  • なんの変哲もない茶碗が千両で売れてしまったことに、茶金は下々の者のひとりとして驚嘆している
  • 油屋を捕まえて茶碗が千両で売れたことを伝えると、油屋は一瞬立腹するが、すぐに真相が語られ、つくづく感服している

ストーリー進行のため、あるいはウケを狙って登場人物の感情を逆撫でするような作りではないのである。
はてなの茶碗ができあがるくだりでは、落語の客は下々の者として、その流れを驚きを持って眺めている。
ただの水の漏る茶碗だが、千両になったのは何かの間違いではない。きちんと段階を踏んで、立派な茶碗になったのだ。
客にとっても、茶金の凄さが染み込んでくる。

茶碗が出世するくだりは、かなり刺激を持って聴いたのだが、ちょっとダレ場だと思うところもあるのか。
天皇陛下のモノマネが入っていた。つくづくモノマネ好きね。

圧倒の高座、感激に浸りながら横浜駅まで歩きました。
実に贅沢な会であった。

(その1に戻る)