いずれフィニッシュしようと思っている「昔ながらのオチ分類」シリーズです。
落語のサゲをつついた結果、「サゲより『いただき』が大事」なんて結論を出して、そしてまだ分類は続く。
まあ、出発点からして、落語のサゲはもともと言うほど大事じゃないというところから始まっているので、矛盾はない。
さて今日は、取り上げるつもりのなかった分類を。「冗談落ち」。
冗談落ちは実のところ分類でもなんでもない。こういう分類がありますよ、という一つのシャレだ。
時間のないとき、「冗談言っちゃいけねえ」で噺を強引に終わらせてしまうと言うワザ。
しかしこの冗談落ち、都市伝説じゃないかなと思ったのだ。
柳家喬太郎師の「落語の大学」だと、サゲは「常磐行っちゃいけねえ」。
筑波大学のある地域を掛けてある。
しかしこれだって、「冗談言っちゃいけねえ」をある種の都市伝説として使っているから成り立つのかもしれない。
春風亭一朝師が一時期マクラ振っていた。
寄席というところは持ち時間が少ないので、噺を途中で終わらせることが多いです。
「冗談言っちゃいけねえ」で締めるわけですね。
この間、この冗談落ちが5席続きまして。
聴いてたお客さまが「冗談言っちゃいけねえ」。
しかし、そんなに冗談落ちを聴く?
当ブログで当たってみたら、なんと一度だけだった。
断っておくと、冗談落ちが出たからといって「珍しいから記録しておこう」なんて発想はない。
たまたま冗談落ちを書き残していたのが1回だけと言うことだ。だからもう少しあるかもしれないが。
そうだとして決して多くはない。
ちなみにこの1回は、西新井で聴いた金原亭小駒さんの「無精床」(不精床)。
小駒さんの無精床、3回連続で出くわしたことは書いているが、冗談落ちについて書いたのはこの一度だけなので、もとより正確ではない。
そしてそもそも無精床の場合、冗談落ちだったとしてやむを得ない気もするのだ。
時間がないからではなくて「隣は葬儀屋だ」なんていう本来のサゲ、あまりにもひど過ぎて現代ではやれないと思うので。
誰もやらない冗談落ちというものが、いまだに業界関係者とファンの頭に亡霊として残っているのではないかという気がする。
「おあとがよろしいようで」と同種の都市伝説ではなかろうか。
隅田川馬石師の鮑のしは続けて聴いたが、「お返しに一円ください」で切るものは、「冗談言っちゃいけねえ」だった気もする。
ただ、サゲ自体のインパクトなんてないので、忘れやすいのだ。
一分茶番(権助芝居)で「今年のおかるはオスだんべ」で切ったものは冗談落ちだったか?
そもそも、「冗談言っちゃいけねえ」の入れやすい噺ってなに?
そんなにある?
こういう噺であるはず。
- ちゃんとやると長い
- サゲまで行かなくても噺が成り立つ
- 途中で下りるとき用のサゲが格別用意されている話だというわけではない
- 小ボケを振ったあと
- 小ボケ自体は、サゲとしては弱い
真田小僧とか替り目は、最後までやらないとき用のサゲがあるので、冗談落ちの必要はない。
何があるかな。オムニバス構造の落語ならあるかも。
パッと思いついたのは「お化け長屋」。
乱暴な入居希望者がやってきて、古狸の杢兵衛さんをやっつけて去ってしまう。
そのあと、「どうする、あいつ越してくるぜ。俺とお前で店賃払うか」。
このあと「冗談言っちゃいけねえ」は成り立つ。聴いたことあったかもしれない。
小言幸兵衛だと、大家・幸兵衛さんの2人目の入居者に対する架空の心中事件のあとである。
ただ、「冗談言っちゃいけません」とか丁寧にしないと、ぶっきらぼう。
丁寧にしてまで使うかな。
三人旅(びっこ馬)が入れやすいだろうか。
馬方がおどけで語る先日の事件(馬ごと転落)の後なら成り立つ。
とはいえ、旅ものだから無理やり締める必要もないところだ。
会話でないものは、冗談落ちにもできない。
小言念仏はどこでも切れるが、ひとりごとで冗談言っちゃいけねえはない。
湯屋番も同様。
ひとりキチ◯イの若旦那に対し、「冗談言っちゃいけねえ」はない。
出来心も、「下駄忘れてきた」という途中サゲがあるが、これもひとりごと。
というわけで、結論。
- そもそも冗談落ちが可能な噺自体、極めて少ない
- であるから冗談落ちなんてそうそうない
- 冗談落ちの存在自体、冗談である