神田連雀亭昼席10(中・吉原馬雀「甲子園の土」)

続いて吉原馬雀さん。
2024年2月に初めて復活後の高座を聴き、数えて6席目。
高座を取り上げた記事のアクセスも安定して多い。まあ、徐々に減ってはきたけど。
当ブログ、いまだにパワハラ事件の詳細を知る資料として活用されている。
それはそれでいいけども、新作落語家吉原馬雀の腕についてもっと着目して欲しいものだ。私はもう、「あの」噺家扱いしたくないのです。
創作の腕はもう、どこに出しても恥ずかしくないもの。
そして演者としての腕も、別に不自然だったりするところが一切ないので、さらに上達していくであろう。

今出た銀治さんは同郷です。宮崎です。
私も宮崎の会が増えてきまして。先日宮崎空港に降りたら声を掛けられました。まあ、母親が迎えに来てただけですけど。

おかげさまで真打昇進まで残り2か月を切りました(拍手)。
披露目の前売券も売りますので。今日でなくても結構ですがよろしくお願いします。
あと、協会のほうでも売り始めました。

本編は、どこかで聴いた噺だ。
甲子園の準決勝で、無名の高校がついに敗退した。逆転負けを喫した如月投手にインタビューしたい新聞社。
しかしなんだか様子が変だ。

思い出した。
かつてコロナ前、2018年の謝楽祭で聴いた噺である。
三遊亭天歌時代の高座への私の評価は、1勝3敗であった。たびたび当ブログにもそう書いている。
しかし実は、もう1勝があったのだ。変わった席だから、カウントし損なったのだ。
それがこの「甲子園の土」。
復活前からあったものと認識して聴く噺は、復活後初めて。
しかし、6席めでも被らないね。立派なものだ。
細かいところは覚えていないが、多分かなり編集していると思う。

馬雀創作のキーワードは、「価値観の逆転」。
この甲子園の土もそう。馬雀さんはずっとこれを狙って創作に励んできたのである。
モデルは金足農業と吉田輝星なんでしょう。
調べたら、金足フィーバーがあったのはちょうど謝楽祭の年だ。

田舎の無名の高校が甲子園を席巻し、客も感動している。
逆転を喫した如月投手、当初泣いていたが取材が進むにつれ、どんどんドライな感じになっていく。
仲間たちも、とっととバスに乗って甲子園を後にしてしまった。
如月投手をずっと取材していた加藤記者が声を掛ける。如月くん、なんか忘れてない?
惜しくも敗退した球児が甲子園の土を持って帰る場面こそ、新聞の1面を飾る画。この高校は、誰もそうしない。

加藤記者が思い切って、非常にやらせっぽいのを承知で土を持って帰る画を撮らせて欲しいと頼むが、明るく断る如月投手。
スパイクを入れた袋で持って帰るのが普通だが、スパイクを入れる袋がなくなっちゃいますから。
しかし加藤記者も負けていない。草野球が趣味の加藤さんは、最近スパイクを買い換えたので、余った袋が一つあるのだ。これを使ってくれたまえ。
嫌ですよ。人の汚いスパイクが入っていた袋なんて。
ずいぶんはっきり言うね。僕らも上から言われてるんだ。ここは人助けと思って協力してくれないか。
記者さんたちは我々球児の戦いを取材しているくせに、どうして上とは戦わないんですか!
ぐうの根もでない記者たち。
それに僕、ヤフオクで中学生時代に甲子園の土買ったんです。もう持ってるんです。
農業高校なんで、この土できゅうり育ててみました。育ちませんでした。
そりゃ、水はけがいいからね。

結局、球児のさわやかさとは最も無縁の決着をつけることになる。
当時、春風亭百栄師っぽい新作だなと思ったが、今でもそう思う。
世間標準に逆らってる少年が、実は最もまともだという。
おかしいのは、土を掬っている球児たちに真横でカメラを向けているのをなんとも思わないマスコミのほうなのである。
馬雀落語は、価値観の逆転と、シチュエーションの掘り下げでできている。
なかなかないタイプなのだ。

復活後6席、依然ハズレなし。

続いては柳家小はぜさん。昇進後の名前はどうなるのでしょう。
私の予想は「小半治」なんだけど。
連雀亭ではほぼマクラ振らない人。この人はそのほうがいいのだった。
もっとも完全フリなし、というわけではなく、借金のことを話していたと記憶する。

借金で首の回らない甚兵衛さん。カミさんと相談。
なんとかしなくちゃ。
昨年末みたいにするか。
いやだよ死んだフリは。

早桶買ってきて、死んだフリしながら大家から香典はもらった話。
あれ、年末の「掛取り」を先取りして今稽古してるの? 暑いのに。

と思ったら、掛取りではなく、加賀の千代だった。
1席めの、冒頭が「熊の皮」っぽい女大学とはツかないかな?
加賀の千代、年末の噺なのが本来のようだ。その型は浅草お茶の間寄席で、桂歌春師が掛けていた。
とはいえ今では年中やる噺。当然、大晦日の借金攻防の噺ではない。
だが小はぜさんは、噺本来の形でやるのを得意にしている人。
「年末」設定のほうに妥協してもらったのだろう。

先日圓太郎師の会で聴いた高砂やは、噺がぐるぐる回るシーンが圓太郎師の馬の田楽とかぶってしまったなと。
もっと小はぜさんにはいい高座があるよねと感じた。
今回の加賀の千代こそ、大傑作であったと思う。

続きます。

 
 

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