スタンプカード芸(クスグリ全入れ)から脱却すべし

自分で発明して、当ブログでもって自分で使っているだけの言葉について解説します。
なんの意味がある? まあ、意味は後からついてくると思う。

他にもこんな用語を発明して、日常的に使っている。

  • ネタ帳ドレミファドン…演者がマクラを振っている段階で、演目のあたりをつけてメモすること(他人より早くわかったという自慢)
  • ヒルハラ…昼間妙に客が多いときに、「仕事はどうしたんでしょうか」と揶揄する演者のハラスメント
  • ラジオ焼き…古典落語のガワだけ活かし、中身をそっくり作る見事な創作

客や演者の悪癖に名前を与えることが多い。
「フライング拍手」なんて音楽の方でも使う用語がハマるものには、わざわざ新たな名は付けない。
あとは客のマナー違反に「痛客」というタグもつけているが、これは水商売用語。
いいほうも常に考えてはいる。
古典落語の編集において、「ラジオ焼き」まで画期的ではないがストーリーの「順序入れ替え」「伏線の張り方の変更」など、実に画期的なものがある。これにも名前を与えたい。
あと、昔からある技法なのだが、名前のついていない他人のセリフの先取り

さて、今日はスタンプカード芸について。
スタンプカードは、ごく古いタイプの、紙でできたものを思い浮かべていただきたい。
来店するたび、スタンプを押してくれる。スタンプがたまると特典がある。
落語界では、まだ物理的なスタンプカード意外とある。

  • 池袋演芸場
  • 黒門亭(スタンプではなく、半券10枚で無料入場)
  • 新横浜コットン亭

池袋演芸場のスタンプカード、ずいぶん前に知ったが、いまだに受け取っていない。
新横浜コットン亭は、あと1回行くとスタンプ5回で500円引いてもらえる。ささやかですなあ。

さて、このスタンプを捺す作業から、演者の悪癖を連想したのである。
高座でもって、クスグリ(ギャグ)を入れるたびに、脳内スタンプカードを捺す、そんな演者がいる。
クスグリが多いほうが、スタンプカードも早く埋まる。ただ実店舗のスタンプカードと異なり、全部埋めても何ももらえない。
それどころか噺の軽やかさがどんどん失われていって、爽快感も失ってしまう。
裏切りもなく、予定調和のかたまり。
面白いと思ってクスグリを入れて、結果噺の評価が落ちるのだ。実にもって無意味。

古典落語というものは、基本的に誰かから教わって掛けるもの。
今でもなお、電話やメールでなく直接教えを乞いに行くならわしはあるようだ。よその協会の師匠に会いにわざわざ出向くこともあるようで。
稽古してくれることになると、師匠の自宅や、落語協会の2階の稽古場、あるいは浅草演芸ホールの2階などでつけてくれる。
特に自分の弟子でなく、よそのお弟子さんに稽古する場合、わりと懇切丁寧にやってくれるらしい。
自分の弟子の場合、稽古つけないで「覚えてやっていい」なんてことも多いみたい。

稽古をつける師匠が、まず実演してみる。
教わる方は正座して拝聴する。好きな師匠の好きな噺のため、つい笑ってしまって叱られたりするそうで。
稽古の実践の一席は、だいたいフルバージョンとなる。
日頃は寄席でもって途中で切ってる師匠も、あまり聴かれないサゲまでやってくれたりして。
さらに丁寧な人だと、「こんなやり方もある」と、先人のものを含めて色々教えてくれるらしい。
まるで関係のない人の関係ないクスグリを勝手にやりなさい、はダメだけど。こういうのは噺を覚えたいほうが直接改めて許可を取らないと、泥棒扱いされる。

クスグリも、教えるほうはこんなのもあるよ、と豊富に教えてくれるわけだ。
もちろんそれは、「全部使いなさい」なんてことではない。
きちんと取捨選択しなさいよというメッセージであろう。
ところが、クスグリの塊を自主編集できない人がいるのだ。

ちなみに、春風亭一之輔師のことだと思いました?
違います。
この人は、ギャグの多さ自体にアレルギーはある(かつてはそれが好きだった)が、教わった通りにクスグリ入れるような芸ではない。
あんまり売れてない二ツ目さんに多い。
そういう人に遭遇すると、スタンプカード芸だから売れてないんだよなと思うのだ。
当ブログではだいたい「私は誰でしょう」に入るので、名は出さない。

スタンプカード芸の人は、まず自覚から始めないといけない。
クスグリに頼る噺をしてる人は、まさにそれ。
編集しないと。編集の仕方に迷うなら、まずクスグリ抜いてみることから始めてみるしかないんじゃないかな。
クスグリを抜きまくった平板な話に、どうアクセントを付けていくか自分で考えないと。

最近の柳亭小痴楽師はまったくもって破竹の勢いである。
この人は、本当にクスグリが少ない。
先日聴いた宿屋の仇討では、万事世話九郎のイタチのネタまで入っていなかった。
先人のクスグリは大幅に減らす。ただ少ない人のほうが、むしろリスペクトに溢れているのである。
そして、クスグリ減らした部分は実にさりげないオリジナルギャグで埋める。

売れてない二ツ目が、オリジナルギャグなんて入れたってそりゃダメだ。
でもだからといって、教わったままのクスグリを全部入れても、状況は何一つ改善しない。
勇気を持って抜きましょう。
抜いたあとすっからかんになったとしても、少なくとも現状よりはマシというものだ。
すっからかんなら、何かを埋める余地があるのだから。勝手に埋まるかもしれないし。

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