好きな人たちの好きな高座、それも各自30分だから、寄席では聴けない内容。
続けて聴いて大満足。
しかし、これはちょっと良すぎるかもな。
シブラクは演者のセレクトが過ぎるかも。
この日の会なら、ひとりぐらい地味な人(ヘタな人ではなくて)や色物が入ったほうが、むしろ満足度がさらに上がりそう。
そんな番組編成を日常的にやってるのが、まさに寄席四場なんだけど。
トリは隅田川馬石師。
小痴楽師に時間食われてしまったが、この人はマクラこだわらないのでどうということはない。
5分ぐらいオーバーしたがきっちり本編25分弱で収めていた。
小痴楽師は新宿8月中席夜のトリだが、馬石師は鈴本8月夜席のトリで、連日ネタ出し。
師匠譲りの「汲みたて」なんて出ていて、ぜひ行きたい。
べらぼうをちょっと振って、浅草の裏っ手にあった幕府公認の廓。
出口が北の一箇所で、あそこは城郭なんですね。
男と生まれたからは女に興味のないやつはいないそうですが、年頃の男性にはそうでない人もいるようでして。
明烏である。
馬石師のものは昨年黒門亭ネタ出しで聴いたばかりだが、被っても別に嫌じゃない。
春には明烏、そして秋の黒門亭には淀五郎も聴きにいった。
淀五郎も二度目だったが、まるで気にならない。
師が語るのはストーリーではない。登場人物の感情だからだ。
さて二度目の明烏。
私はふだん仕事で、女性に楽しんでもらう原稿を作っている。
なので落語好きの女性の感性も常に磨いているつもり。そのアンテナが今回受信した。
「若旦那を、女性客は花魁の立場から眺めている」
いや、この程度では当たり前と言われそう。まだある。
この席の女性客、「若旦那の筆おろしを担いたい」そう思ったのではなかろうか!
そして馬石師もそれを狙っている!
これは画期的。
別にいやらしさ爆発なんかではない。さわやか筆おろし。
若旦那の時次郎、女性から見てとても可愛い青年に作ってあるのだ。ことさら強調しているわけでもないのに。
ウブで素直である。学問は好きだが、学問に取り憑かれたようには描かれない。
格別、キャラづくりが他の人と違うわけではないのだけど、やはり語り手でもって個性が出る。
花魁の浦里は、朝若旦那に起きなんしと言いつつ離さない。
この際ほとんどは、若旦那を足で挟み込んでいる。男性客の喜ぶエロな描写。
だが馬石師は、浦里花魁に布団の下で手をつながせている。
うん、このほうが女性は喜ぶ。
源兵衛太助、町内の札付き2人のワル描写はない。
この人たちは狂言回し。
若旦那に「あなたがた町内の札付き」と言われてから、「裏で言われてるの知ってたが面と向かっては初めてだ」が楽しい。
お化け長屋ですな。
明烏では一般的に、この2人組をいじって若旦那の個性を作っていくものだ。若旦那よりも2人組を強調する。
先に出た小痴楽師の明烏だってそうだった。
だが馬石師、別に弾けているわけでもない若旦那のキャラを、自力で早々作り上げているのだった。
最近、馬石師の右手の所作が気になっている。
師は実によく右手を振る。それも大きく。
これが「冗談言っちゃいけねえ」みたいな効果をもたらすこともあるし、キャラの漫画っぽさ強化にもつながる。
こんなやり方する人はいない。そして、リアルな芝居にはない技法。
最もリアルでない所作から、物語のリアルが噴き出すのだ。
逆説的だが、そういうものだ。逆に若手で、リアルな演技を狙って大外れの人いますわな。
そしてこの所作、女性っぽい。カマっぽい、ではなく。
おばさんでもおねえさんでもいいが、好意を持つ男性に「やだあ〜」なんてやるときの仕草に見える。
こうしたさりげない仕草に女性がどんどん引きつけられていくのだ。
そういえば、巫女頭にされた置屋の主人が、笑いをこらえきれなくなった様子、これは大変にリアル。
ホントにじわじわ笑いがこらえられない。
馬石落語は、リアルと非リアルの境目を軽々と進んでいく。
クスグリはそんなに特筆すべきものはない。
鉄板の「そこで笑ってここで怒ってあそこで泣いて」も入ってるし、翌朝の甘納豆も。
有名なクスグリはわりと入ってるが、だがなにひとつ強調しては用いない。
物語は普通だが、眼の前の芝居はまったくもって普通ではない。
女の人が喜ぶ落語って、いいよなあと思う。
男性客も、それを楽しむ感性があると、二重にものが見える。
というわけで4高座、唯一の不満が「良すぎる」というものでした。
割引券ゲットしたし、またやって来る。
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