紙切りの林家二楽師匠が急逝。58歳。
まだ若いのに。昨年亡くなった金原亭馬遊師より一つ下。
ご冥福をお祈りします。
8月まで寄席に出ていたということで、本当に消えるように亡くなってしまった。
もう10年近く前に、いきなり激痩せして話題になったことがあった。あれとは関係しているのかどうか。
少なくとも今回、かなりの数の人が激痩せを思い出したのではないかと思う。私はそう。
ずっと闘病されていたのですね。
二楽師は、父である二代目林家正楽門下。二楽師は次男。
元々紙切り芸の跡を継ぐのは、長男のはずだった。
正楽は長男を、芸術協会の小南門下に入れた。紙切り芸には話術が必須と考えたのだ。
正楽は落語協会なのに長男を芸協に入れたのは、そちらのほうがチャンスが多そうだという、実に先を見据えたプランニング。
長男は紙切りを学びつつ、噺家と一緒に前座修業をしていた。
だが、前座修業が明ける頃には落語の魅力に取り憑かれ、結局噺家として二ツ目になった。
当代の桂小南師(三代目)である。
正楽も元は噺家として先代正蔵(彦六)に入門したわけで、息子が噺家になったことは嬉しくはあったろう。だが後継ぎ問題が発生。
そして次男に白羽の矢が立った。
正楽は当初、兄を修業させたのと同じ理由で、さん喬師に預けようと考えた。
同じ協会のほうが目が行き届いていいと思ったのか。
しかしさん喬師は、次男くんがお兄さんと同じ理由で噺家になっちゃったら反対できませんけどいいですかと。
なので正楽、結局自ら育てることにした。
早くから正楽は、二楽師を父と一緒の舞台に上げていた。
なお「二楽」という名なのは、一番弟子に一楽(のちの三代目林家正楽)がいたからである。
二楽師はそんなわけで、前座の修業はしていないのだ。
この点、ご本人にも思うところがあったに違いない。
二楽師は息子の八楽さん(紙切りの一族としては三代目となる)を、前座にした。
寄席で前座を務めていた八楽さん、落語を聴いたがびっくりするほどヘタだった。なかなかないレベルのヘタさ。
色物の前座だから一年で修業を終えるのだろうと思っていたら、意外にも三年やった。
前座を終え、紙切り芸人として遭遇した八楽さんは、喋りも上達して見事な高座を務めるに至っていた。
めでたしめでたし。二楽師も喜んでいたことだろう。
二楽師の兄、桂小南師は、真打昇進時(小南治)と襲名時、2回披露目があったわけだ。
真打昇進時には父・正楽が、襲名時には弟・二楽がそれぞれ口上に並び、芸も披露した。
芸術協会の披露目に落語協会員が上がる、これは極めて異例のことである。
交流が盛んな現代から見てもなお。
2026年春の真打昇進披露興行の後は、昇進が空く。
なので私は勝手に、二楽師の正楽襲名披露があるものと想像していた。
ちなみに、太神楽の翁家和楽・小楽襲名も予想。
正楽襲名の話、まるで進んでいなかったわけでもないと思う。来年には正楽師の三回忌も済むから。
いずれにせよ、父の名を継ぐのは幻となった。
2024年に亡くなった三代目正楽は、一族ではないので襲名の色気などまったく持っていなかったようだ。
当時の小正楽師に襲名してくれと頼んだのは二楽師だったと、どこかで読んだ。
頼んだものなら、帰ってくるのが自然。
ただ、今後はどうなるだろう。
正楽の名を、三代目正楽の弟子である楽一師が継ぐのか、二楽師の息子である八楽さんが継ぐのか、どちらもありそう。
今考えるべきことじゃないですが。
いずれにしても、落語協会の紙切りは現在二人だけとなった。
紙切り芸はだいたいそうだが、紙切り作業中のトークは基本は毎回同じ。
二楽師の場合、「紙切りは間違えて切ると元に戻すことができないんです。こないだ前のほうに座っていた小さい男の子が、『じゃあセロテープで貼ればいいじゃないか』と言ってました。今度あの子とゆっくり話がしたいものです」。
だいたいこう。それから切り抜いた残りの紙はゴミではなく、アナザーサイドB面。
だが、主に池袋の時だけはその後を変えていた。なぜ変えるかも客に語っていた。
「私、いつもこの話(セロテープ)振ってお客さまの反応を見てるんです。今日のお客さまは、かなりのマニアですね」
こんな時はもう、体が揺れる理由も説明しない。「隣の詳しそうな人に訊いてください」。
楽屋でお客の様子を聞いて出てきたら、息子のしてた話と全然違い、マニアばっかりじゃないかと文句言ってたこともあった。
三代目正楽が亡くなった後で二楽師の高座を観たら、「爪切ってくれ」というギャグが入っていた。「とりあえずビール」と並び元々生前の正楽が入れていたもの。
正楽を継いでいく意思表明かなと勝手に思っていましたが。