東博寄席 その2(三遊亭好楽「おさん茂兵衛」)

仲入りは三遊亭好楽師。
ひところ聴きまくった好楽師だが、ちょっと間が空いて1年振りだ。久々の気はしない。
決して持ちネタ少ない人ではないが、通ううちに同じ噺に出くわすことが増えた。
いつも同じようにやる師匠ではないから被ってもいいのだが、やや飽和状態にあったのは確か。
だが、たまに珍しいものを聴ける。
「伽羅の下駄」「胡椒の悔やみ」など。
この日は珍しいほうで得した気分。

笑点の好きな人が落語聴いたとき、結構イメージ違うみたいですね。
「小遊三の落語聴いた?」
「聴いたよ〜全然下ネタとか言わねえの。イメージ違うよな」
なんだそうですよ。
あたしのもありましてね。
「好楽の落語聴いた?」
「聴いたよ〜間違えるとか噛むとか忘れるとか、失敗ばかりかと思ったら、上手いんだよ。びっくりしちゃった」
まあ、最後のはあたしが作ったんですが。

私でっち定吉などは、笑点の好楽師と高座の好楽師、ギャップはまるで感じない。
どちらもこの師匠の包み隠さない姿だと思う。
「笑点ではあんなだが本当はすごいんだ!」と釈明に力入りそうな人もいそうだが、ポンコツぶりもまた一面真実だと思っている。
ポンコツを極めた人徳者。

最近やってる噺がありましてね。
今日はそれを。

商家の番頭、茂兵衛は主人の信も厚い。
一つ変わっているのが女嫌いということ。
ある日仕事で30両懐に上州桐生へ。
途中、上尾で腹を満たそうと一膳飯屋へ。
そこで給仕していたのは絶世の美女。女嫌いの茂兵衛、たちまちこの女に心を奪われる。
後ろ髪を引かれながら表に出ると、地元の百姓たちが話をしている。
江戸から来たあの親分は大したお人だと。あの人に口をきいてもらえば全部ことが収まる。
話を耳にした茂兵衛、親分を訪ねることにする。

「おさん茂兵衛」という噺。存在も知らなかった。
先日両国で、圓朝特集で出したらしい。息子の円楽師のブログより。
おさん茂兵衛は史実であり、西鶴の好色五人女にも取り上げられたという。
これを元にした落語は圓朝作と、もうひとつ上方落語にもある。
タイトルは同じでも、まるで違う噺。調べるのに往生する。
圓生のおさん茂兵衛は、YouTubeにあるようなので、後で聴くことにする。
今日の記事書く前に先に聴けば忘れた親分の名も思い出すのだが、印象が混ざってしまいそう。

女の名と男の名を組み合わせた演題は、落語でもおなじみ。
お若伊之助や、おせつ徳三郎、お花半七(宮戸川)、お初徳兵衛、お露新三郎、お藤松五郎。

女嫌いの茂兵衛だが、江戸時代だと、陰間とかソッチのほうは好きだったのではないかと想像。
まあ、ストーリーにはまるで関係ないけど。

手ぶらでは行けないので手土産持って茂兵衛、侠客の親分宅へ。
あの一膳飯屋のおかみさんについてご相談です。
ああ、元は品川の芸者でおさんという。垢抜けたいい女だ。
この30両でなんとかなりませんか。
あの女は、子分の三五郎のものだ。かみさんじゃねえんだが、俺が世話してやった。さすがに子分の女を金で売ったとなっちゃ俺の名がすたる。悪いことは言わない。あきらめなさい。
別に金で売ってくれと申すのではありません。座敷でほんの一刻でも差し向かいで話ができればいいんで。

いったん辞去する茂兵衛だが、井戸に身を投げようとする。
幸い子分が止めてくれた。
そこまで思い詰めるとは。そうか。まあ話だけはしてみるが。

最初、おさんではなく「小さん」と聴こえた。すなわち平板なアクセント。
小さんは元は芸者の名。男なのに芸者の名を付けてるのがシャレなのである。
たから噺の中に小さんが出てきても不思議ではない。
小さんが出て、「三語楼」が出てという業界のシャレなのではないかと思ったが、違う。
まあ、柳家には台所おさん師もいますが。

親分がやってくる前の、三五郎宅が描写される。
三五郎が、おさんに頼んでいる。泊まりがけで宴会の酌をして欲しい。30両出すと言ってる。
なんでお前さんはあたしを金で売るんだよ。
売るわけじゃねえ。金があったら助かるだろう。

そんなところに親分が持ってきたおいしい話。二つ返事。

もとより圓朝ものであり、結末の意外性を楽しむとかそんな噺ではない。
だから全部書いてもいいと思うのだが、書いたところでという感じだし、味消しな気がするのでやめておく。

ギャグが一つも入っていない。
しかし力強い噺。
女に興味のなかった男が、店の金使い込んででも一人の女に執着しようとする。
それも女房にしたいとかではない。
もちろん現実にはあり得ないだろうが、人の思いにグッとくるではないですか。

マクラで振ったとおり、好楽師のイメージの違いにびっくりした客も少なくなかったろう。
まあここまで違うのは好楽師でもそうそうない。
それでも、博物館でこんな噺を聴いた記憶はそうそう消えないだろう。

しかし毎日飲んでる好楽師、こんな噺をいったいいつ仕込むのであろう。
「あの師匠は人の知らないところで大変な努力をしてるんだ」なんて感想は、かえって野暮な気がするのだ。

続きます。

 
 

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