訃報・昔昔亭桃太郎

年末に訃報が飛び込んできたが、すでに酩酊していたので記事は書かなかった。
その後、年明け最初の記事を訃報で始めるのを躊躇してしまい。
でも書きましょう。

12月21日に行った昔昔亭桃太郎・瀧川鯉昇二人会が、直前に鯉昇独演会になった。
その際、ちょっと心配はした。
でもまあ、お歳だし体調不良だってあるだろうと。
鯉昇師の様子を思い出すと、すでにだいぶ危ない状態だったのかもしれない。

弟子の昔昔亭喜太郎さんは今春真打昇進。
急遽襲名ということはあるだろうか。手拭い作り直さなきゃいけないが。
師匠と雰囲気も近いし、あると思うのだが。
継がない場合は、末弟の昇さんが真打昇進時に継ぐと思う。

桃太郎師の思い出は尽きない。
現場だけでなく、浅草お茶の間寄席への出演もやたら多かった。日本の話芸もあり。

一番印象的だったのは、上野広小路亭のしのばず寄席(2017年)。
最前列に座ってたおじいちゃんが、トリの桃ちゃんのマクラの最中、立ち上がって帰り支度を始めたということがあった。
当時は、前列は桟敷である。
桃ちゃんは声を掛けた。「さっきからもそもそしてると思ったんだ。お帰りかい」。
爺さん立ったまま、「俺茨城なんだ。遅くなっちゃった」。
「気をつけてお帰り」
「俺の友達はみんな死んだよ」
「爺さん、戦争行ったのかい?」
「行ってないよ。もう戦争終わって71年経ってるんだから」

痛い客なのだが、やたら面白かった。
桃ちゃん空気を変えるため、マクラを打ち切って「春雨宿」に入った。

その翌年に、笑店特大号の収録を見にいった。
喜太郎さんに観覧チケットいただいたのである。
桃ちゃんは「せこい茶碗」も入れて、裕次郎物語だった。
「嵐を呼ぶ男」と、さらに「男の友情背番号3」をフルコーラス。
若手たちが搭乗し、ツイストを踊っていた。
最後に木久扇師が登場。

振り返ってみると、桃ちゃんの爆笑マクラ、いつもいつも通院の話ばかりしていたことに気づく。
転んでケガをして担ぎ込まれたり。
カラオケ病院のフリもあったかもしれないが。
まあ、だからこそ体調不良と言われても、いつものことかなぐらいに思っていた。

せこい茶碗だけでなくて、一時期年賀状ネタで手拭い投げるというのもあった。
拾ったお客さんが桃ちゃんに届けると、特製ティッシュをくれる。

師の新作落語はみな面白かった。ただ、弟子や後輩が引き継げるような内容のものはない。
結婚相談所やお見合い中、金満家族なんて、誰もできない。
ただ桃ちゃん自身は、師匠・柳昇の「カラオケ病院」をやっていた。
柳昇の作品の歌を若干変え、自分の作品にしていた。これもたまらないものだった。

芸協新作のぜんざい公社もこの人のは別格だった。
行政というものを風刺した作品なわけだが、桃ちゃんからはまるでそんな匂いが漂ってこない。
ナンセンスの極み。

桃ちゃんは80歳だったが、同じく年末に亡くなったぺぺ桜井先生は90歳だった。

海老名香葉子さんも亡くなった。この人は92歳。
最後には次女・泰葉も看取ったそうで、よかったですね。

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。