いきなり1席め、佐々木裁きのクスグリを思い出した。
「もしもお奉行さまが先代文枝だったら」
上から厳しく迫るお奉行さまではなく、柔らかい口調の先代文枝によるお裁き。これは爆笑でした。
ずいぶんと地噺の要素の強い一席であったと思う。しかし、本当の地噺にはしない。
さて、2席めもネタ出し、月に群雲。
小佐田先生が書いたものであって新作落語なのだが、それにしてはずいぶんと古典の世界にハマった噺。
松喬師の力なのだろうけど。
クスグリの入れ方は新作のそれなのに、こんな古典があっても許されるという雰囲気なのだ。
古典に寄せようとするのではない。新作らしいメタギャグもあり。
ただ、演者が古典落語の肚で語っているらしい。
新作らしいメタギャグ。
「指の先見てみい」「爪が伸びとる」「爪の先や」「垢がたまっとる」「そんな古典落語みたいなクスグリ入れよって」
松喬師の演出とともに、小佐田先生の創作の腕もびんびん感じる。
「泥棒の盗品を買い取る裏の存在」という、実在していておかしくない店を噺の芯に据える。
そこまでは、わりと作れる。
だが小佐田先生は、もうひとつ、直接ストーリーに関係ない「ことわざ」という全体を貫く串を入れる。
この串でもって、サゲまで突き刺すのである。
客はあるいは、ことわざという串が貫いていることは忘れてしまうかもしれない。
かつて日本の話芸で聴いた私も、この存在を忘れていたのだ。
ことわざはときに過剰ではないかというギャグになるのだが、なにせ全体を貫いてるから、最後は綺麗にまとまるのである(サゲが決まるということもあるが、それだけではない)。
この構造がいたく響いた。
ちょっと足りない泥棒ふたり。弟分は古典落語の例によってアホであるが、兄貴もあんまり賢いことはない。
弟分は、泥棒の世界にはめずらしくせんもん学校を出ている。
せんもん学校というのは、泉州の、読み書きできない子供に「もんじ(文字)」を教える特別学校のことである。
兄貴が、「お前、選りすぐりのアホやないか」。
いいなあ、選りすぐりのアホ。かなりのパワーワード。
業界で名を知られた盗品買いの親父さんを訪ねにいく。
表の顔は「豆腐屋」という設定があったはずだが、今回は抜いた? 耳にした覚えがない。
「月に群雲」と合言葉を泥棒が発すると、おやっさんは「華に風」。たっぷりもったい付け、たばこに火を点け一服してから答えてくれる。
だが河内屋を訪ねても合言葉を発しても、親父さんはポカン。
気付いて、「ああ、盗人の河内屋さんは突き当りを奥ですわ」。
世を忍ぶ商売の盗品屋、結構世間で有名なのであった。
間抜けな泥棒が持ち込んだのは、顔が4つ取れた七面観音に、998手観音、弁天さまが船から落ちた六福神。
おやっさんひとつも買ってくれない。
おやっさんから見ると、この間抜け泥棒が1人目の客。
続いて2組客がやってくる。小言幸兵衛や借家怪談(お化け長屋)みたいなオムニバス構造なのも洒落てる。
ただし最初の泥棒、荷物を広げすぎてなかなかしまえず、最後までいる。
2人目は、泥棒の亭主がぎっくり腰のため代わりにやってきたおかみさん。
この人は盗品を買ってくれるお店を、あちこちで尋ね、交番署でまで尋ねてやってくる。
ちょっと足りない人で、せっかくの合言葉を忘れてしまう。
この人も、せんしゅうもんじ特別学校の出であった。
おかみさんの持ってきた木綿の着物は、噺家のところの。
笑福亭右喬(弟弟子)のなんだって。
コロナ禍の持続化給付金が年収を超えた貧乏人から盗ってきたらアカンやないかとて取り上げられる。
こんな記事をかつて書いた。
今でも、落語にはアホな女性登場人物がもっと必要だと思っている。
そうだ、この「月に群雲」はかなりの、アホ女性のサンプルだなと思った。
小佐田先生の落語は、アホ女も解放しているのだ。
そういえば「幽霊の辻」の茶屋の婆さんもかなりのもの。擬古典落語の効能をひとつ知る。
そして3人目の客が、「六福神」あたりを綺麗に回収する。
3人目は個性を与えると過剰になるので、薄いキャラ。
この最後のくだりも、ナンセンス度合いが進行してるのではないかと思った。
実に楽しく、そして書き物をしてる私にも非常に勉強になる一席でありました。
ここでまた仲入り休憩。
続きます。