県民共済シネマホール寄席3(下・柳家花緑「柳田格之進」)

トリは柳家花緑師。
今年はスクエア荏原で師の「笠碁」を聴いた。
師の代表作であるが、どうにも引き込まれなくて。
今日は弟子が一緒でよかった。すんなり来る気になったわけで。

今回の花緑師、柳田格之進には圧倒された。
とはいえ方法論は「笠碁」と変わらない。古典落語の世界を客にわかりやすく提示して、現代にフィットさせようという。
でも今回は引きずり込まれました。
これはもう、落語ではなくて「シン・落語」の確立ではないかと思った。シン落語を、既存の落語のものさしで評価しても、ダメとは言わないが正確には測れない。
師はずっと、そういうことがしたかったんじゃないか?
もっとも弟子も含めて後継者はたぶん現れないだろうから、恐らく一代限りだろうけど。

笠碁の場合、隠居たちが記号になりすぎ、引き込まれなくなってしまった。本来私は、落語における記号的なものを非常に好むのに。
しかし柳田格之進は、落語ではご法度かも知れないナレーションの一人語りがずっと続くのに、鷲づかみにされた。
落語というより、朗読のようなムードであるにも関わらず。であれば、新ジャンルの確立と言っていいのでは?

先に、気に入らなかった部分も書いておく。入っている意味はすべてわかるけど。

  • 番頭の動機を、「嫉妬」とわかりやすく語っている
  • 娘のお絹と一緒になるのは、この番頭ではなく人柄のいい二番番頭
  • 番頭はのれん分けしてお店から出されて終わる
  • お絹は、復帰のかなった藩の好意によりすでに受け戻されているが、心の病

柳田格之進というのは、武士の意地のために吉原に娘を売る噺。現代感覚から抵抗もあって当然。
ひどいことをした番頭と娘が一緒になるのは解せないと、これは令和の今だけでなく、昔からある感想。
でもその番頭も、いったん「主人は悪くない。私をお斬りください」と必死で懇願している。
お絹さんを身請けして一緒になるのは、そのまごころへの報酬だと思うのだ。でも花緑師の場合、報酬は命が助かっただけである。
二番番頭の存在はずいぶんご都合主義。番頭が小僧に「掃除なんか見えるところだけやればいいんだ」と言ったのを、小僧に対し「それは冗談だよ」と伝えている。
手代や小僧からも評判のいい、如才ない男が、お絹さんを慰めようと柳田宅へ通ううちに心が通じたというのだ。
まあ正直ちょっとイヤなんだけども、でもこれは「作り変えた」事実をネガティブに感じるのであり、噺としてはこれで間違っているわけじゃない。

花緑師も袴姿。これは噺とばっちりフィットしている。
ここ初めてきましたが、本当に映画館ですね。
全国いろいろな場所に行きますので、映画館は全然問題ありません。
一度バーでやったことがあります。バーカウンターの上に高座ができていて、これはあまりよくなかったです。

花いちもごはんつぶ君も楽しい新作でした。私は古典をやります。
草彅剛さんの代表作になりそうな映画「碁盤斬り」の原典です。

まっすぐすぎるさむらい、柳田格之進を、第三者的視点でずっと説明する。
讒言にあって禄を失い、浪人となった。日々わしのなにが悪いのだと鬱々とする日々。
しかし娘に勧められていった碁会所で、佐野屋(違う名前だったかも?)と知り合い、心を通わせる。
町人と懇意になるのはなにかと具合が悪い。ためらいつつも、付き合いをやめられない柳田。

月見を開くが、娘のお絹は来ない。なぜなら着物がないからですとわかりやすく解説する花緑師。
その晩もやっぱり碁を打ち、そして間違いが起こる。

柳田が盗んだりしていないことの説明はさすがに入らない。
花緑師は、柳田の主観でしばしば語るのだ(友情に溺れたのがいけなかった、など)。いっぽう、主人の視点はない。
ここは、柳田は無実だとも言っていないが、初めて聴く客の脳裏に盗みを働いたと解する余地がない。そう作ってある。
それに娘お絹が番頭とのやり取りを聴いて、全部見抜いている。
説明過剰にするのが師の本意ではないのだ。

静かなシーンがずっと続き、水を打ったように静まり返るホール。実にいい。
もう、これでもってすべて受け入れる。

絵の裏から50両がひょいと出てくるところはうまい。
二番番頭に、やんわりと掃除の効能をすすめられた小僧の定吉が見つけるのだ。ちゃんと連動している。

ようやく出くわした柳田は、旧家(井伊家)に復して江戸留守居役。
もう貧乏ではないし、娘も戻ってきているが、恨みは消えない。
翌日、柳田の来訪予告を前に、主人はひとりで引き受けようと番頭を使いに出す。

満足の一席にケチをつけたいのではなく、書いている今ふと思った。
柳田格之進をシン落語化(そこまでしなくても、別の解釈を作る)するなら、他に道があるのではないだろうか。
悪役を引き受けることになる一番番頭を主人公にした物語もあるのではないか。
つまり嫉妬、忠義、暴走、反省、後悔、覚悟、安心などをまぜこぜにした人物造形である。
まあ、ここまでやると文学作品になってしまい、やりすぎかもしれないが。

ともかく、この日は花緑師にピタッと焦点が合った。
またズレることもあろうが、一度完全に合ったのだから、今後も楽しめるだろう。

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