第41回昭和医大名人会 その4(五街道雲助「夜鷹そば屋」有終はイビキに送られて)

ヒザは曲独楽、三増紋之助師匠。
いい人を顔付けしている。
芸は、3年半前に朝霞で観た際とまったく同じパッケージ。それが実に楽しい。
当時コロナの制限がようやく薄れてきた頃で、客席を飛び回る紋之助師に思わず涙ぐんだりなんかしたのを思い出す。

冒頭、手に抱えた大ゴマの芸。
次に小さなコマの芸、いったんお囃子を止め、回ってるのがわからないんですよと、ハンディファンを上部に取り付け回してみせる。
羽子板から、刀。
お客をステージに上げて、綱渡りのコンビ芸。トトロがくるくるコマの上で回る。
最後に場内、コマを回しながら一周。

ヒザというものは本来、派手な芸をするポジションではない。
でも紋之助師は元気で派手で、でもトリの師匠の邪魔に一切ならないという、嘘みたいな芸である。
しかも元気も分けてもらえる。

トリは人間国宝、五街道雲助師。
会のフィナーレを飾るのにふさわしい。
例によって。
もう一席だけお付き合い願います。このぐらい我慢できないようでは出世はいたしません。

かくばかり、偽り多き世の中に、子のかわいさは誠なりけり

子別れかしら。
と思うと。
小さい頃はかわいいんですが、大きくなってくると始末が悪いと。
火事息子かしら。

子はいたほうがいいのか、いないほうがいいのか。
ない子に泣きを見ない。
ますます火事息子?

しかし夜鷹そば屋であった。
今年はネタ出しを鈴本で聴いて以来二度目。
夜鷹そば屋を二度聴き、そして原典であるラーメン屋を二度聴いた。面白い年である。
現場でラーメン屋を最後に聴いたのは、かれこれ10年よりも昔の話なのに。
きっと立ち食いそばブームが背景にあるのだ。そんなこと一切思ってませんけど。

しかし、仲入り後ずっと聞こえてきていた客のイビキが。
ちょうど結末にかかるあたりで最大値を叩き出して。客席から変な笑い声が上がるのだった。

イビキねえ。
よく、客席で寝てはいけないと思っている人もいるが、すごい勘違い。
いけないのはイビキである。
談志だって、寝てる客をつまみだそうとしたわけではない。イビキが障りになったから追い出したので。
で、客席のイビキはありふれているかというと、そうでもない。
イビキは筋肉が弛緩し、気道に落ち込むことで生じる。座って寝ていると通常こうはならないからだ。
座って寝てイビキをかく人は、呼吸器系に問題があるかもしれない。AIによるとだが、SASの可能性も考えられるとのこと。

で、でっち定吉はこのたびのイビキに怒っているのか。そうでもない。
いつも書いてるが、マナーが気に障るか否かは結局「作為」のあるなし。
イビキには作為がない。未必の故意すらないだろう。「落語会で寝たらイビキをかく」という認識すらきっと当人にはないからである。
まあ人によっては、「落語会に寝に来るんじゃない!」「トリで寝てるんじゃない!」と怒る人もいるだろうが。
まあ確かに、後半3席ずっと寝ているというのはいかがなものかと思わないでもない。
是非はともかく、イビキ一発で会の最後をグズグズにしてのけるとは、作為がなくてもすごい。
ちなみに、脳卒中の症状だったらシャレにならない。
もしかしたらこの後救急車で病院に運ばれた可能性もなくはない。ここ、大学病院だが。

そんなことはいいや。
感動の一席があり、そして没入を妨げるイビキがある。
両者は別個のものだ。関係ないものを一緒にしてしまうからつらくなる。

最近読んだ「雲助おぼえ帳」によると、夜鷹そば屋を、雲助師は泣かせようとはしていないのだそうだ。
むしろ、「なんで泣くの?」ぐらいに思っているのだと。
でも客は泣く。
そりゃ泣くだろう。現に最後、ちゃんも泣いてるじゃないか。

今年二度目の噺を振り返ると、主人が若者を信用する理由が見えてきた。
若者は真はマジメとか、そういう抽象的な部分ではないと思う。上方の造り酒屋に奉公して、そこで気に入られていた、しかし讒言にあった、その部分なのではないかと。
それ以降、もしかしてやむなく悪いこともしたかもしれない。でも、もともとは優秀な奉公人だった、そのあたりが信用の理由ではないか。
まっとうになる資質のない人間であったら、手助けしていない気がする。
しかも息子にしようというのだから。

若者のほうも、売りだめわかりやすいところに出しておけという主人の態度を見ていたら、もう難しいことを考える余地はない。

イビキの伴奏はありつつ、やはりいい噺。
この後抽選があるのは知っているが、クライマックスシリーズも観たいので会場を後にしました。
さようなら、昭和医大名人会。また(あればだけど)鷺沼で会う日まで。

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