昼席主任・雷門小助六師は、今や飛ぶ鳥を落とす勢い。
急激な出世に、世間(SNS)がまだ追いついていないかも?
まあ私だって、この師匠を最初に認識したのはわずか4年前であるが。
成金ばかりフィーチャーされていて、その後ようやくやや上の世代に日が当たるようになったのだと思う。
小助六師、今年5席め。
珍品もスタンダード演目も両方聴けて、そして作りこんだマクラが楽しい。
私にとっては、もはや無敵の人である。
今日は超のつく珍品。ハメモノ入り。
当席は、芸歴の近い人たちで番組を組んでいます。
今出た、正二郎さんは私の2年先輩で、アニさんですね。
本来の番組だと弟弟子の五郎が出るところでしたが、ワキにいい仕事があってそっち行っちゃいまして、代わりに上がったのが瀧川鯉橋さんです。2年先輩で、一緒に前座修業した中です。
夢丸さんは、2年後輩です。やはり一緒に前座修業した中です。
その他、鯉栄さんとか、桃之助さんとか、みんな修業仲間です。
本当に仲いいんですね。
助六さんだけは世代が違いますけど。私の師匠ですから。
さん付けしたのはナイショですよ。
とにかく楽屋が楽しいですね。もう、ここに出てきたくないぐらい。
ただ今、みんなで私の悪口言ってるかもしれません。
前座期間というのは、落語芸術協会ではだいたい4年ですね。
団体によって違いますけど。うちは4年程度です。
前座は、座布団返したり、太鼓叩いたり、師匠方の着物を畳んだり、ネタ帳つけたりします。
(下手を指し)あそこがお三味線の部屋で、その上が太鼓ですね。
三味線は、お囃子のおねえさんです。まあ、おねえさんと呼びにくい人たちですけど。
ここでお囃子の部屋の壁が、ゴン。
今日のお囃子さんは、香盤が一番上の、一番怖い人です。桂小文治師匠のおかみさんですね(古田尚美師匠)。
あとで謝っておきます。
三味線は専門職ですけど、太鼓は前座が叩くんですね。これも修業の一環でして。
太鼓が上手くなると、噺の間がよくなるっていうので。
噺の合間に太鼓入れることもあります。夏が多いですね。怪談噺をやりますから。
夏はこう、うすどろといいまして、太鼓を細かく叩いていく音を入れます。
あるとき、私が任されることになりまして。上のアニさんが太鼓苦手で、下は入ったばっかりだったので。
その頃入って9か月だったでしょうか。
三笑亭可楽師匠の高座です。今90になったでしょうか、もう寄席には出てない師匠ですが、その高座で叩くことになりまして。
緊張していました。
そうしたら、春風亭柳橋師匠、先代ですが、この人が急に言うんです。「久々に太鼓叩いてみるかな」。
柳橋師匠は若いころ太鼓の達人だったそうで。なので楽屋が異様な雰囲気になりました。
ところが、うすどろというものはですね、結局この、技術より体力なんですね。
柳橋師匠、お歳で体力が落ちてますから、こう、利き手でないほうがだんだん弱くなってきまして。
そして柳橋師匠のほうが、高座の可楽師匠より先輩なんですね。
可楽師匠、高座降りてきましていきなり激怒です。
「誰だ! あんな太鼓じゃ噺できねえ!」
柳橋師匠は、ぷいといなくなってしまいました。みんな見てます。
私が前に出て、「申しわけありません。私が叩きました」。
でも、その後で柳橋師匠、学校寄席の仕事2本くださいました。嬉しかったです。
私それ以来、積極的に人の罪はかぶることにしています。
学校寄席でも、よく太鼓のワークショップなどやりますね。
私も高3の頃、学校寄席が来ました。
その頃、校内放送で先生に呼び出されて。何かなと思ったら。
「山口くん落語好きでしょ? 今度学校に落語呼ぶんだけど、どの番組がいいと思う?」
学校寄席はパッケージ化されてまして、選べるんですね。小遊三師匠の番組とかありましたね。
私が目を付けたのは、一龍齋貞水先生です。のちの人間国宝ですね。
「これがいいと思います」
それで貞水先生になりました。
私、貞水先生の立体講談聴きに行きたかったんです。でも学校に来てくれるんならチケット代が浮くなと思って。
実際、「山口が選んだのか。面白かったよ」って評判よかったですね。
その後私は、在学中に入門しました。
入門後、学校寄席で貞水先生とご一緒させていただく機会がありました。
「私が先生を選んだんですよ」なんて、前座の分際で言いません。でも、学校寄席の担当の方には世間話をしてまして。
そしたら、スタッフの人が貞水先生のお耳に入れてくださって。
「そうかアンちゃん、世話になったね」
なんて言ってくださいました。でもその後が怖い。
「なんで俺のとこ入らなかったんだ」
本編、実に楽しい珍品「酒屋蔵」に続きます。
小助六師はワキで聴くことが多いのだけども、寄席で最も輝く人だなと再認識。