「若旦那、一体どうしたってんです。寝込んじまったっていうじゃないですか。びっくりしましたよ」
「おや熊さん、よく来てくれたね。親父の差し金だろ。なにをふさぎ込んでるのか訊きにきたんだね」
「正直そうなんですがね。でもだいたいわかりますよ。あたしも若旦那と同い年だからね。女のことだね」
「違うよ。そんなもんじゃない。あたしの願いなんて叶いっこないんだ」
「そんなことないよ。話してみなさいよ、徳ちゃん」
「久々に名前で呼んでくれたね。じゃあ、熊さんにだけ教えるよ」
「なんなんです。寝込んじまうほどの悩みっていうのは」
「実はね・・・きんめだ・・・かじりたい」
「『金目鯛かじりたい』? まあ、高級魚には違いないけど、河岸に行ったら手に入るでしょ。寝込むほどの悩みには思えないね」
「違うよ。金メダルがかじりたい」
「金メダルう? 金メダルって、あの、首からぶら下げる?」
「お前さんに言ってもわからないかもしれないけども、あたしは昔から金物かじるのが大好きでね。オリンピックの金メダルがかじりたくてかじりたくて、もう仕方ないんだよ」
「え、若旦那そういう趣味ですか。びっくりしたね。でも、金メダル以外にも金物だったらたくさんあるでしょ。橋の欄干についた擬宝珠なんかいいんじゃないですか。夜中にかじりに行けばいいでしょ」
「もう飽きたよ」
「やってるんだね、あなた」
「どうしてもオリンピックの金メダルがかじりたいんだ。金属のメダルに歯を立てて味わいたいんだ。でも叶わぬ夢だから、いっそこのまま死んじゃおうと思ってね」
「金メダルねえ・・・若旦那の命がかかってるからなんとかしたいね。そうだ、あたしの知合いにね、水谷隼って卓球選手がいますよ。混合ダブルスでメダル獲ったばっかりだからね。彼に頼んでみましょうか」
「イヤだよ」
「え、どういうことです? 金メダルかじる機会なんてそうそうないですよ。金メダル持ってる人が知り合いにいることだって本当にたまたまなんだから。頼んでみる価値ぐらいあるでしょ」
「イヤだ。水谷選手なんて波田陽区じゃないか。そんな人のメダルかじっても、残念」
「死にそうな割にぜいたくだねあなた。じゃあね、あたしの直接の知り合いじゃないけど、柔道のウルフ・アロン選手だったらなんとかなるかな」
「イヤだよ熊さん。なんでむくつけき大男のメダルなんてかじらなきゃいけないんだ」
「だんだん本性が見えてきたね。一体誰のならいいんです? 水泳の大橋悠依選手?」
「あたり」
「だいたいそんなとこだと思ったよ。美人選手のメダルがかじりたいなんて、若旦那、どんな変態なんだ」
「誰が変態なんだ。あたしはただ、自分の欲望に忠実なだけなんだ」
「呆れたね。若旦那、もう死んじゃいなさいな」
「熊さん、友達じゃなかったのか。あたしを見捨てるのかい」
「見捨てたくなったけどね・・・そうだね、若旦那。ひとついい方法があるよ」
「なんだい。大橋悠依選手のメダルをこっそり持ってくる方法でもあるのかい」
「それは犯罪だよ。若旦那ね、ちょっと時間は掛かるけど、金メダルのために辛抱できるかい?」
「金メダルがかじれるなら辛抱するよ。どうするんだい」
「若旦那ね、なんとか頑張ってね、市長になりなさい。人口の多い、政令指定都市とかいいよ」
「市長? なんで?」
「市長になるとね、地元出身のメダリストが表敬訪問に来てくれるんだよ。もちろん、役所のほうから手を回して来てもらうんだけど」
「うんうん」
「やっと興味持ったね、若旦那。運よく女性選手が金メダルを獲ったらね、こうするんだ」
「へえ、そうするんだ」
「まだなにも言ってないよ。古典落語の典型的なクスグリ入れてくれてありがとう。女性選手にね、メダルをまず見せてもらうんだ」
「見せてくれるかな?」
「もちろん、市長としての公権力をフルに使うのさ。それからね、選手に頼んで、あなたの首にメダルをかけてもらいなさい」
「それも公権力を使うんだね。わかったぞ。首に掛けたもらったメダルをつかんで、思いっきり嚙んだらいいんだね。歯型を付けちゃうぞ」
「そうだよ若旦那。公権力を最大限に使って、思うぞんぶん噛みしめるんだ。丸ごと口に入れたっていいんだよ」
「でも、選手に怒られたらどうしよう」
「怒らないよ。もともとメダルって、選手はみんな噛むもんなんだから。それに若旦那は市長で、公権力を握ってるんだよ。万一選手が怒るようなら、市民権を剥奪してやったらいいんだ」
「そうか、熊さんありがとう。ぼくは市長になるぞ。市長になって、表敬訪問に来た地元出身の女性選手のメダルを思いっきり噛みしめるんだ」
「そうだよ若旦那。もう病気も治ったんじゃないかい」
「もう大丈夫さ」
それから50年後、政令指定都市の市長になった金属フェチの若旦那は、ようやく長年の欲望を果たすことができました。
選挙で選ばれた市長はとても偉いため、世間がなんと言おうが屁の河童だということです。