拝鈍亭の瀧川鯉昇2(下・「芝浜」)

仲入り後、鯉昇師のもう一席。

江戸っ子について。
かつて家康が遠州からも多くの人材を江戸に呼び寄せたので、意外と故郷・浜松と共通している要素があるものだと。
鯉昇師のおばあさんはよく「あさしを拝む」と言っていた。朝日である。
東京に来て落語界に入ったら、師匠方がみんな「あさし」と発音していた。

今からやる噺は、30分で終わるはずです。
ただ、私も年を取りまして、どこかセリフがつかえるので伸びるんでしょうかね。もう少し長くなるかもしれません。

それだけ振って、「お前さん起きとくれ」。
鯉昇師が芝浜を持っているのは知っていたが、聴いたことはない。
人情噺の大作を、この愉快な師匠がね。それに、まだ9月の第1週ですけどね。
でもなんだか、すんなりそうなんだと受け入れる私。他の客もそうだと思うのである。
鯉昇師だったら、別にいいやと。

実に不思議な芝浜。
ストーリーは既存のものとまったく同じ。展開を変えたりはしない。そして、ことさらにギャグを入れて作り変えたわけでもないという。
サゲを工夫したりもしない。
だがなにしろ、滑稽噺なのである。愉快な芝浜。展開もスピーディ。
愉快な師匠が、急に文芸大作を掛けて客を泣かせ、違うステージに上り詰めて芸術選奨を獲ろうと、そういうことではないのだ(たぶん)。
鯉昇標準で普通にやると、すなわち滑稽噺なのであった。
鯉昇師は、「語りなおしの達人」だと最近とみに思うようになった。
語り直して客を驚かせるためには、珍品などでなく、スタンダードな古典落語の演目のほうがいい。鯉昇師の持ちネタはスタンダードなものばかり。
スタンダードな演目は、落語ファンである客の頭にテキストがしまわれている。語り直しによって、既存のテキストが揺さぶられるのである。

とはいえ、落語ファンの幻想がたっぷり付着している芝浜は、さすがにどうだろう。
芝浜に聖域を感じ、戸惑うファンもいるかも。
ただ私は、既存の芝浜と脳内で比較しつつ、実に楽しませていただきました。
いっぽう、芝浜を背景も含め一切知らないという貴重な人が客席にいたら、この滑稽噺芝浜を、最もストレートに楽しめそうな気もする。

鯉昇師はおかみさんを亡くされた。その夫婦愛が芝浜に流れ込んでいるかというと、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
同じ頃におかみさんを亡くされた三遊亭好楽師が先日、弟子の好一郎師の披露目で「三年目」を掛けていたのを聴き、強いメッセージを感じた。そういったものはあるような、ないような。
あったとしても、滑稽噺のスパイスという趣なのだ。

芝浜という噺、全体をひとつのモードに浸って聴いてしまうのだが、意外なぐらいクスグリ豊富な噺であることに気付く。
魚勝のおかみさんが、包丁をピカピカに研いで準備万端しつらえているのを、夢をはさんで繰り返しのギャグにするとか。
後半「女房と畳は」と言いかけてやめるとか。
それに、財布を拾うシーン自体、スリリングで楽しいものなのだ。
それを活かして普通に語りつつ、クスグリを丁寧にやると滑稽噺・芝浜になるらしい。
おかみさんにまんまと実際のシーンを夢にされた魚勝が、「俺はそういえば子供のころからはっきりした夢を見る癖があった」。これで客、爆笑。
これ、小三治版芝浜に入っていて、以前から個人的に違和感を覚えていたセリフなのだ。ギャグとして使うのではなく、あくまでもストーリーにリアリティを持たせるための魂のこもらないセリフ。
だが、鯉昇師はこの部分にクスグリとしての素材を感じたらしい。素晴らしい感覚。

財布を拾うシーンでは、「芝浜の三木助」由来の情景描写も地味にしっかり挟み込む。

鯉昇師らしいのは、魚勝に対しての期待がまるでないこと。
魚勝が必死で働く決意を入れたあと、地に返る。「こういう人間がまったく変わることはありません」。
まあ、それが真理というもの。一度逃げ道を持ってしまった男が、逃げ道をふさぐことはないのが世の常。
このあたりの悩みは噺家に共有されている。だからリアリティの追求として、「それほど大きな店になったわけではない」という芝浜も見るところだ。
だが鯉昇師、疑問は共有しても異なる道を行く。
生まれ変わっていない魚勝を一発描写しておいて、それでも懸命に働いたので店が持てたということにする。演者から一発疑問を提示し、客と共有すれば、それで不自然さなんて消えてなくなるのである。

サゲにタメなど入れないし、かみさんの涙も最小限。
「夢になるといけねえ」と、この大作をサラっと閉じる鯉昇師。

しかし逆説的なのだが、そんな噺として語ったからこそ、深い感動を覚えた人が多かったろう。
ちなみに35分ぐらい掛かっていた。

ここ1年、鯉昇師がずっと聴けて幸せです。
この師匠、まだまだ面白くなっていくに違いない。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. このところ、年齢のせいか長い落語に疲労感を覚える小生です。
    「昔は良かった」なんていうつもりはないのですが、芝浜というとどうかすると一時間かかるなんておっしゃる師匠までいますが、鯉昇師の時間はいい感じですね。まだ師の芝浜は聞けてないですが、聞きたくなりました。しかも凝った演出がないというのもいいですね。
    トピズレですが、先日古いビデオで九代目扇橋師の「二番煎じ」を聞きました。なんと18分でした。個人的な体力によるものなのか、すごく軽くて気持ちいいなあと。

    1. いらっしゃいませ。
      私も小股の切れ上がった、中身の詰まった落語が好きですね。
      ムダに長いのは自己満足なのではないかと。
      鯉昇師には、あれもこれもという執着がないので、本当に大事にしている部分だけを残せるみたいです。

      そういえば、二番煎じだと、酒を持参した先生に月番がやたら怒る演出が嫌いです。
      そんなに効果高くもないし、とっとと先に行けばいいのに。

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