神田連雀亭昼席9(下・桂鷹治「花見の仇討」)

神田連雀亭に戻ります。
日が経ってだいぶ記憶が薄れてきてしまったが。
爆笑のクスグリがあり、鷹治さんらしいごく軽い出し方にも感心したのだが忘れちゃった。
クスグリは忘れても、構成の見事さは忘れない。

トリの桂鷹治さんは昨年5月以来。
なんだかお腹が出すぎていて布袋さまみたいだ。健康にはくれぐれも気をつけていただきたいものです。

いにしえは花といえば梅でした。梅は種類が多くていいですよね。
平安時代から桜が花の代表になります。
そして花見の定番、「桜?咲いてたかなあ?」の小噺。

この前に馬久さんが真冬の噺「雪とん」を出し、次に梅の季節に季節を先取りした花見の仇討が出る。面白いものである。

定番の長屋の花見かと思った。
他には花見酒や花見小僧などあるが、花見の仇討はいちばん難しいんじゃないか。
なにしろこの噺には、欠点が内在していると思う。限定季節物なので、やるほうも聴くほうも欠点に気づきにくい気がする。
六部役の六ちゃんがおじさんに捕まってやってこないのが肝であるが、ここのサイドストーリーを膨らませすぎるとダレてしまう。
趣向に失敗した原因は、この六ちゃんに降りかかる不測の事態だけで本来十分なのだ。なのに巡礼兄弟が間抜けなので、アニイをまたせ、薩摩あたりの侍に仕込み杖をぶつけてトラブルになる。
噺の仕掛けが、部分部分は落語らしくさりげないのに、全体を見ると過剰なんですな。
こんな噺を演出たっぷりにやると、ガチャガチャしちゃう。

この点、鷹治さんのものは脇道の使い方が絶妙だと思った。
というかどんな古典落語もさりげなく編集し絶品に仕上げる人だ。
全体的に過剰な噺なんだから、さくさく刈り込むのがいい。
といってダイジェストではもちろんなくて。

町内の若い衆4人。
毎年花見の趣向を凝らすが、昨年は不評だったらしい。
何をしたのかはわからないが、あんなのならやるなと年かさの連中にも苦言を呈されたそうだ。
芸協らくごまつりの若手の企画に理事からケチがついたようなイメージだろうか?

世間をアッと唸らせる今年の趣向を募るが、首つりしか出てこない。
そこでアニイが出したアイディアが、仇討ち。
上野の山でカタキに巡り合い、真剣で斬り合う巡礼兄弟。
そこに六部が仲裁に入り、みなでかっぽれを踊ろうとなる。

アニイはアイディアを出し、配役を決めてくれるが、あとが極めて雑なのだ。
稽古しとけとか、仕込み杖も世間のどこかにあるから自分たちで探せとか。
なんで全体練習しないんだろ? 桜の前に現地でやれば完璧なのに。
なんで翌日決行しなきゃいけないんだろ?
でもそうした疑問も、鷹治さんは展開に深入りしないことで解決する。

六ちゃんがおじさんに捕まる流れもスピーディ。
でも、ここのくだり楽しいのは確かで、しっかり楽しさは残していく。
耳の遠いおじさんに向かってわざと悪態ついてみるとか、八九升(円楽党でまだやっている前座噺)みたいな部分もあり。
「おばさんがいれば何とかしてくれたんだが」と六ちゃんがつぶやいているのが好き。
落語って、「間の悪さ」を描くものが結構あるなと思っている。雪とんも思えばそう。
男女の間と違って、花見でバカ騒ぎしようというどうでもいい事象なんだけど。
ともかく酒でおじさん潰そうとした六ちゃん、べろべろでアウト。
この酒は、本来趣向に使うはずの仕込みである。

待てど暮らせど巡礼兄弟は来ない。
途中で侍とのゴタゴタもあり、ようやくやってくるが間抜けにも通り過ぎるので、アニイが呼び止める。マヌケな仇討ち。

斬り合いが始まるが、巡礼兄弟役は注目されて結構嬉しい。
舞い上がってると受け身を忘れて危うく斬られる。
侍が加勢してくるし、もうめちゃくちゃ。

鷹治さんは間の抜けた町人から侍まで、どれもこれも上手い。

ふと思ったが、「長屋の花見」には通常やらない終盤部分がある。
ヤラセのケンカでもって周りの客を追い出し、ご馳走いただいちゃおうという。
あれ独立させられないものかな? 人のご馳走食べたがる長屋連中を描くには、やっぱり序盤からの積み重ねが必要かな?
いずれにしても花見の座興というものには価値があって、この季節の座興の噺も欲しいものである。

この日は4席、すばらしいデキでした。

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