鈴本演芸場13 その2(柳亭左龍「初天神」)

ストレート松浦先生、ギャグが一つ増えていた。
天井を向いて、「デビルスティックを吊り下げている人」に合図をするという。
事前に客に対し、「これ本当にやってるの? なんか仕掛けがあるんじゃないの? 天井から吊ってるとかとお思いでしょう」と振っていたので、面白かった。

真打2人目は柳亭左龍師。
入船亭以外は、玉の輔師を除いて柳家で固めている。
べらぼうの話は出ない。
落語はくつろいで聴いてください。背もたれに背中を預けて、目を閉じて、おやすみ下さい。
入場料金取り返そうとして前のめりで聴くのはいけません。どのみち返ってきませんし。

小児は白き糸の如し、から懲役ごっこ。
こんな小噺が面白いし、ウケるからすごい。特に変わったことしてないのに。
服が汚れて困るおっかさんの心境がよく出てるからじゃないだろうかと思うが、でも本当のところ面白い理由はわからない。師匠の懲役ごっこより楽しい気がするのだが。

天神さまへの道中から始まる手っ取り早い初天神。
また前座噺かよ、と思うとこれが本当に面白くて。
初天神の最高傑作じゃないかと。本当にそう思った。

道中は「カッパは空想の産物です」ぐらい。このような大人に私たちの未来は任せられない。
天神さまに着くと、屋台だらけ。夢中で眺める金坊。
綿あめがあり、金坊は思わず手で棒をぐるぐる回す。
そして焼きイカの、醤油のこげる匂い。あとはなんだったか、カルメ焼きでもあったろうか。
つまり、金坊の五感を屋台が刺激したのだった。
ここでなんか買ってくれという子供、ダメでしょうか。買ってやりましょう、ぜひ。
金坊のお願いはストレート。ひと殺しとかひとさらいとか、そういうのはない。
ただ、ものすごい顔をしてから大声で「飴買って!」
結局親父が、「人さらいじゃありません。親子です。似てるでしょ」と釈明する羽目になる。

飴が伏線になってるので、団子の際は金坊が叫ぶ前に親父が口を塞いでいる。

「団子屋、なんでお前こんなところで商売してるんだ」
「毎年こちらで出させていただいてます」
「もっと裏っ手でやれ。公衆便所の前とか」
「へへ。売れなくなってしまいますんで」
「いくらすんだ。そんなに!? アベノミクス崩壊だ」

この手の現代ギャグは2箇所程度で、絞り込んでいる。
あとはチャポンまで一本道。

ところで、初天神の最高傑作じゃないかと思ったのは、この噺が親の琴線を揺すぶること。
聴きながら、もう大学に入った息子が小さかった時の、親としての感覚を思い出したもの。
童心を揺すぶる初天神なら普通にある。
だが、親の気持ちを刺激するものには、初めて遭遇した気がする。
すでに孫のいる人なんか、また別の琴線が揺すぶられるんじゃないですかね。

寄席の浅い出番ですばらしい一席。
左龍師、寄席では主任も含めて聴けるけども、一度外の落語会に行きたい。
こんなに上手くて面白いのに、それほどは落語会ないですよね? 三三師との同期の会とかはあるが。

ウクレレえいじ先生は、客参加型のネタがまた増えている。
この日のネタが、多分寄席での基本なんだろう。
「コール&レスポンス」→「佐渡の海」→「網走の海」→「秋田の海」→「瀬戸の海」→「ダイヤモンドヘッド」→「津軽じょんがら節」→「マニアックでごめんね」

マニアックものまねは、志村喬、天知茂、西岡徳馬、岡本信人、舞の海など。
池袋だったらまだまだあるのは知っている。

続いて前落語協会会長、柳亭市馬師。
頭を上げてすぐ、昔の物売りについて振る。
そしておじさんが与太郎を呼んでいる。物売りだから道具屋ではない
こんな出番でかぼちゃ屋である。先日、一番好きな噺は「松曳き」と書いたが、その次に好きなのがたぶんこれ。
居候の半公のエピソードを抜くと収まる。

かぼちゃ屋は、今でもなお市馬師の師匠、五代目小さんのイメージ。
マジな与太郎が、たまらない。
市馬師の描く与太郎は、師匠と微妙に違う印象。
天然には違いないが、もう少し人を食った造形。
天然の自分が、人に与える効果をぼんやり知っていそうな。

続きます。明日もかぼちゃ屋から。

 
 

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