今日はまたしても神田伯山先生の高座におけるスマホ鳴らしについて1日書こうかと思ったが、もう書きたいことは書いてます。
なので導入としてこれに触れる。
新宿末広亭は遮断装置もないので、スマホは鳴ります。これからも鳴り続けます。
開き直って鳴らしてしていいもんではない。それは確か。
しかし、「飲酒運転と同じ」って伯山先生言ってるのだが、そりゃなんだよ。
飲酒運転とスマホ鳴らしの違い。
- 飲酒運転…酔って判断が鈍り、運転をミスしやすくなるので人が死んじゃうかもしれないけどまあいいや
- スマホ鳴らし…携帯が絶対鳴らないものとは限らないけど、多分鳴らない。止め方もわからないし、高座が壊れるかもしれないけどまあいいや
どう考えても、比べるもんじゃない。
神田伯山、またも怪談話で携帯電話が鳴り…観客に怒りの苦言「飲酒運転くらいの罪だと思って」(スポニチ)
マナーは大事だが、完全を追求しすぎるとむしろおかしなことになる。
そもそも、スマホはわざと鳴らす性質のものではない。
電源切っておけばしまいだが、でっち定吉以外誰も電源なんて落としてない。
亀戸の「きく麿・駒治」、梶原いろは亭の古今亭一門と続けて写真撮影タイムを設けた会に出かけた。
いずれも写真撮るのが早い早い。電源落としてたらもう、撮れない。
実際、ついこの間までリユースポンコツスマホを使ってた私は、きく麿駒治の会では撮れなかった。
すでに、芸人たちは電源入れっぱなしの世の中を認識し、それに合わせている。
いつも激しい怒りをぶつけている伯山先生の感覚のほうが、ついていけないものになってるのでは。
芸協の芸人の出ない鈴本では、鳴らさないために何度も何度も注意している。
遮断装置も入っている。
これにとやかく言う気は一切ございません。
スマホ鳴らしも避けるべきことではある。
だが私にはもっと嫌なことが無数にある。
いつも書いてるが、作為を持った行為のほうが、ずっと嫌だ。
そんな例が取り上げられていたコラムが一つ。
定番ギャグを客席に言われたときに、寄席芸人はどう対応するのが正解か? 新宿末広亭の「全興行」に通い続ける演芸評論家の記録(全4ページの3ページめ)
紙切り、林家楽一師の定番ギャグを先に言う客である。
長井好弘氏は、別にこの痛い客を非難しているわけではなく、楽一師の返しの見事さを取り上げているのである。
楽一師の客あしらいの見事さは、私もたびたび取り上げている。
子供が来ていると、特にその細やかな神経が発揮される。
しかし読者の私が引っかかったのは、演者の見事さよりも先に、実に嫌な客だなということ。
演者の定番ギャグを知っていたからといって、先に言ってなんになるの?
寄席にしょっちゅう出てる楽一師の定番ネタなんて、みんな知ってる。
少なくともこの客は、自分が知ってることを「演者より先に言っていい」と理解しているわけだ。
これが私の大嫌いな、客の作為。
笑点でもって木久扇師の「やーねー」を先に言うあたりから、許されると思ったのであろう。
問題は、高座に声を掛けていいかではない。
客が余計な発言をして、許される、またはウケに貢献すると思ってるその素人了見だ。
客に面白いことなんてできないって。
昨年話題になった指笛も、こういう傲慢さの産物と言える。
そういえば、通が揃うとされる池袋でもひどい客がいた。
客の声がけ、無制限に許されるわけではない。
ウケ込みでかろうじて許されるのは、桂宮治師に対する「戸越銀座!」が限界だろう。演者が、個人情報保護時代に、とぶつぶつ言ってくれる。
こんなのも私は十分嫌いだけど。
とにかく、客は自然体で。
もちろん自然体というのは、一緒に来た人と世間話をやめないことではありません。
寄席と、そして芸人と一体化して欲しい。
客の作為に関する怒りもすでに書いてまして。