蝠丸師、高尾に入る前には「べらぼう」を振っていた。
吉原に入り浸るのは殿様も同じ、となる。
いい男は羨ましいですね、という話はどこから出たのだったか。
噺家にはいい男はいないが、50年前に二人だけいた。落語協会と芸術協会に一人ずつ。
一人は落語協会の入船亭扇遊アニさん。
私と扇遊アニさんは当時似てるって言われてたんです。
そういうことです。
ある女性が、生まれた我が子にいい男になってもらおうと思い、福山雅治のポスターを部屋中に飾る。
だが、男前に育つかと思った息子がだんだん下品になってきた。下ネタも言う。
おかしいと思って福山のポスター剥がしてみたら、裏が小遊三師匠だった。
女を口説くのに、ワンパターンの褒め言葉しか使わない人がいる。
師匠文治がそうだった。いつも、「女優さんみたいですね」。
ところが、褒めた相手が本物の女優だった。
「まあ、面白いことおっしゃるのね。噺家さんみたい」
脱線しては戻る高尾の本編に、仙台公に宛てた名文の手紙がある。
現代用語に翻訳すると、「あなたのことを思い出したことはない。そもそも忘れていないから」。
この名文(原文)、私ちゃんと覚えて話してますからね。(扇子を広げて読んでいるが)何も書いてませんでしょ。
でもこれ、カンニングしたやつがいるんですよ。あらかじめ扇子に書いておいたんですね。
楽屋でバレちゃって。本番前にトイレ行った隙に差し替えられちゃったんですよ。本番で気づいたものの、後の祭りです。
ごめんなさい。私です。
7年前に聴いた際は、扇子を差し替えたのは師匠文治であったが、今回は名が抜けていた。
その代わり、新たに人名がついたエピソードもある。
別の噺でもよく振る、蝠丸師自身が初めて電車で席を譲られ、落ち込んだエピソード。
楽屋で慰めてもらう。「師匠、師匠はお爺さんに見えたんじゃないですよ。病人に見えたんですよ」。
と言ったのが、小痴楽になっていた。
ちなみに鯉昇さんにこれを話したら、「ぼくはもう30年前から譲られてます」。
一席目から蝠丸ワールド全開でたまらない。
続いて入船亭扇遊師。
メクリの「船」が船の絵。扇辰師のときたまに見るもの。
美声の扇遊師にしては声がガラガラだなと思ったのだが、前日は弟子(扇白)の末広亭の披露目。朝まで飲んだのでしょうか。
立派な座布団ですな。寄席にはこんな座布団はありません。
ただ、立派な沈む座布団は正座がつらいこともあります。
座布団の縫い目の向きをレクチャーする。
お客さんのほうは、あるいは縁を切りたいかもしれませんが。
冒頭のスライドを受けて。
私は噺家になった時期がよかったです。文楽志ん生には間に合ってませんが、圓生・志ん朝には間に合ってます。
私の師匠九代目の扇遊は、桂三木助の弟子でした。師匠について落語協会に移ってきたんですね。
師匠の亡き後は小さん門下になりました。
芸術協会のほうもすごかったですね。柳橋、今輔。
東宝名人会は落語協会と芸術協会が一緒でしたから、楽屋も一緒で。蝠丸さんともそこで会ったんだと思います。
名前の出た鯉昇さんもずいぶん早い時期から会ってますね。
大谷はすごいですね。今日も投げて勝ったそうですよ。3点取られたけども逆転して。
そして佐々木くんも投げたそうで。
大谷、なんて呼べませんね。
私の師匠扇橋は、東京落語会、じゃない東京やなぎ句会のメンバーでした。
永六輔、小沢昭一、柳家小三治などそうそうたる顔ぶれでした。
皆さん亡くなりました。矢野誠一先生も。
永先生には私はかわいがっていただきまして。今、永先生って言っても知らない方もいるでしょうね。今日のお客さまは大丈夫ですけど。
「講演講座コンサート」というパッケージでよく全国を回ったものです。
離島も行きました。対馬に行ったときの話です。永先生と私と、ミュージシャン長谷川きよしさんです。
長谷川きよしさんは目が見えません。
離島は大体船ですけど、あるとき6人乗りのセスナを3機仕立てて対馬に行きました。
乗る前に聞かされたんですけど、私たち芸人の乗るセスナのパイロットは特攻の生き残りです。
腕はいいですけど、褒めると色々な技を見せるのが好きですから気をつけてくださいと。
いざ乗り込んだら長谷川さんが調子のいいことを言ってパイロットを褒めます。パイロット調子に乗って、じゃやりますかと。
超低空飛行とか、機体一回転とか、橋の下をくぐるとか。
怖がるこちらを尻目にいろいろ技を見せてくれました。
とどめが、着陸間際にエンジン切りましょうと。
生きた心地がしませんでした。
でもそんな体験しましたから、永先生と長谷川さんはせんゆうです。
これが言いたくてずっと話してたんですが。
旅の話からねずみへ。
3か月前に鈴本のトリで聴いたばかりだからなあ。
しかもねずみ自体今年4席め。個人的にはねずみ年だ。
さすがに若干うとうとしてしまった。
ねずみ屋の主人の長い独白が気持ちいいのもある。
ちなみに、あの席で伊東市長の話題が出ていたのだ。
あれから3か月か。この話は仲入り後に出てました。
あとで蝠丸師が話していたが期せずして仙台被り。