高座返しに前座さんが出てくる。あれ、先週いい高座を聴いたばかりの三遊亭げんきさんだ。
落語協会主体の会になぜ、と一瞬思ってしまった。兼好師の弟子なんだから全然不思議ではないのだけど。
自分の高座はなかったらしい。
釈台を据え付けて、トリは喬太郎師。
髪の毛はもう真っ白。
今月西新井で聴いたばかりの、釈台スタイルの釈明を始めたのでちょっと驚く。今はもう、これは初心者向けの会専門のマクラだと思っていた。
「横浜にぎわい座で喬太郎の下半身を見る会」を今度やりますだって。
何度聴いても楽しいマクラ。繰り返しに耐えるのは、演劇っぽいからか。
言葉として浮気はフケツだが、不倫はステキなんて小噺、というかミニコント。
これは、日本の話芸で出した「紙入れ」でも聴いた。
釈台スタイルになってからの喬太郎師、東京かわら版のインタビューでもって「紙入れみたいな噺はやりづらくなった」なんて語っていたけれど。
しかしいっぽうで、次から次へと釈台の可能性を広げる師だけに、釈台版紙入れを作ったのかな、なんてこの時点で思う。
さらに、後世に残したい日本語として、「キ〜このどろぼう猫!」。
ハンカチ噛んでやって欲しいと、手拭いを噛んで実演。
日本の話芸ではさらに昔は「よろめき」と言いましたと入っていたが、これはなかった。
間男は七両二分と値が決まり
1両を換算すると、時代によっていろいろ幅があるんですが5万円から10万円というところらしいです。
間を取って7万5千円としましょう。これが7両半ですから…まあ、そこそこの額です。
隣の熊さんのかみさんとできてしまった小噺。いたしたのはただ一度。
マけてもらって3両払えと言われる。仕方なく自分のカミさんに相談する。
カミさんが言うには、熊さんから6両もらってこい。
最近聴いたばかりの小噺だ。それも喬太郎師と西新井で一緒だった馬生師から。
師もそこで聴いて、やりたくなったのだろうか。
喬太郎師の紙入れは金原亭由来なのだろうか。
この小噺は日本の話芸にはなかった。
次に日本の話芸でも出ていた、豆腐屋のカミさん間男小噺。
これも馬生師から聴いたばかり。
よく似ている。
喬太郎師は、「発表します。町内で間男騒動です」。
ツッコミが「前橋市長?」
発表し終わると、「解散」。ただ、与太郎が聞いていた。
豆腐屋について、「先祖が鹿を殺した豆腐屋か」という遊び入り。
たぶん、始めてから気づいたんだと思う。
準備万端で紙入れへ。
旦那の留守に新吉を呼び出したおかみさん。
新吉はこんなこともうよしましょうよと。
おかみさんは別に新吉を脅したりはしない。釈台に肘を乗せ、アンニュイな表情で、「こんなおばあちゃんだもんねえ」。
そうかあ、釈台こうやって使うのかあ。
実際の噺の中で、おかみさんが頬杖つく場面なんてないのだけど、でも実に自然。
新吉もおかみさんに、釈台に手をついて詫びている。
しかし演劇の方法論は落語世界において実に刺激的。
コントっぽいおかみさんから、かえって女の怖さがにじみ出る。
先人たちには見られない技法。
むしろ落語においては円丈の新作から来ていると思われる。
かみさんが羽織の紐をぐるぐるぶん回して「ヤダヤダヤダあ」。
この直前、喬太郎師が羽織紐をほどくのを確認し、あ、出るぞ出るぞと思ったら嬉しくなってしまった。
羽織はこの後で脱ぐ。必要性があって羽織脱ぐのもなかなかいやらしいのだが、その前に遊びに使う豊かな発想。
旦那が帰ってきて、逃げ出す新吉。
忘れ物ないか懐探って、「これは肉」。
紙入れ忘れてきた! でもいったん安心する新吉。
新吉の紙入れ見つけた旦那、あ、昼間に新吉が機嫌伺いに来たんだなと、そう思うのが当たり前。
しかしおかみさんの手紙が挟まれていることを思い出し、再び絶望。俺が旦那なら、読む。
こんなところ深堀りする紙入れなかなかない。深堀りするけど、依然軽さは失わない。
覚悟を決める。旦那の様子見てから逃げ出せば、弘明寺ぐらいまでは逃げられるだろ、と横浜の客にサービス。
ちなみに、旦那の目の前から逃げ出しても日ノ出町ぐらいまでは逃げられそうだって。日ノ出町じゃ、にぎわい座の最寄り駅の一つで大して逃げられてない。
翌朝の旦那とのシーンは、非常に軽いもの。
紙入れは軽くないと本当、ダメだなあと思う。そして現在の喬太郎師、軽みの追求に向かって一直線。
「読みましたか」「見つかりましたか」が珍しくウケてた。
軽いからだと思う。
軽いので、紙入れという噺につきまとう悪い要素は一切湧いてこない。
痛恨の遅刻があっても、なお楽しい落語教育委員会でした。