大岡山落語会2 その4(柳家さん花「棒鱈」)

啖呵が単価になってたり短歌になってたり、お恥ずかしい限りです。
その前の落語会で、「家事見舞い」っていう間違いもあった。
Appleの日本語変換は本当にしんどい。
「から」で変換すると毎回「加良」が出るし。
まあ、出す前に人間が気付けと言われたらしまいだが。
息子が高校でもらったiPadのお古を使わせてもらっているのであった。

大岡山落語会、引っ張って4回目。
仲入り休憩は短い。
トリは柳家さん花師。
この人は4年近くご無沙汰。真打昇進披露も行ったのだが。
披露目に行ったということは、かなり期待していた人ということである。
そんな人でも、うっかりするとすぐに4年近く過ぎてしまう。
昇進後、同時昇進組で最初にトリを取ったはず。

花いちさんの新作聴いてましたけど、すごいですよね。
私も新作ネタおろしの会を20回ほどやりました。
そのネタで、残ってるもの一つもないですよ。難しいですね。

昨日も新作の会ありまして。主催者が宣伝文句考えてくれって言うんです。
私も新作のイメージないでしょうから。
今、粗品さんが話題になってますよね。「賞金1千万円に値する芸は一つもない」って。
それにならって書いたんです。「木戸銭3,000円の価値のない落語会です」。
叱られました。

新作残すのは大変だが、作り続けることが古典にも必ず生きる。
でっち定吉はそう信じてますけどね。
古典派とか決めつけないで、新作も書いたほうが絶対に噺家人生豊かになると思う。

楽屋仕事は叱られることも多いです。
そのとき慰めてくれる先輩もいますが、正直耳に入らないですね。
叱られたストレスを解消するのに一番いいのはですね。
兄弟子に㐂三郎という人がいまして。
この人今はしっかりしてますけど修業時代はよく叱られてました。
この人が叱られてる様子を見て楽しむんです。

酒のマクラがあったが、なんだっけ。

「寅さん」と棒鱈に入る。
結構変わったスタイルだった。

  1. 薩摩武士は終始ふにゃふにゃしている
  2. モズのくちばし、はくちばしの所作入り
  3. 「琉球」はない
  4. 弟分、別に嫌なことがあったわけでもないらしい
  5. さむらいの歌う「12か月」を隣の座敷の弟分が丸ごと覚えてしまう。寅さんは感心している
  6. 弟分が隣の部屋覗いてくるというと、「おお、行ってこい」
  7. 赤べろべろを投げつけられたさむらい、おいしそうにいただく
  8. さむらい、最後まで怒ってないが、いきなり「きるー」と長いのを抜く

変わってるのだが、既視感もある。
三遊亭兼太郎さんが、5〜7をやっていた。8もだったか?
兼太郎さんの棒鱈は、客がぴくりとも笑わなかった謎の神田連雀亭で。私一人声を上げて笑っていた。
出どころが明らかに一緒だが、どこから来たのか? 兼太郎さんはさん花師に教わったのか?
こういう、演出がどう伝わったか探るのは、たとえ判明しなくても非常に楽しい。

ちなみに本編始まってしばらく、全然ピンとこなくて困った。
何やってるの、この人、という。
あれ、私の知ってるさん花師ってこんな人だっけ?
私の好きじゃない、弟分の悪態(早くしろ、バカ!)が二度入るし。
さむらいの造形が見えてこないし、その割に大井大森のギャグは紋切り型だし。

と思っていたら。
モズのくちばしで、ピタッと一致した。
独自の変わった体系に、ハマり込んだのだ。
両手でくちばしを作り、パカー、パカーっと。
このナンセンスさに、やられた。

特定の演者をヘタと評すのは普通のことではある。
だが、その演者が作りだすユニークな体系そのものに入り込めていないだけということもある。
トップバッターの花いち師なんてまさにこれで。
常時上ずったその語り口にも独自の体型というものがちゃんと隠れている。そこに入り込める人が増えて、二度目のトリが決まったのだろう。
だから、気に食わないまではいいけども、ヘタと断言するのは覚悟がないとね。

12か月は、弟分が4月まできちんと覚えて、寅さんが感心している。
その目的はさっぱりわからないのだけど。でも面白い。

「琉球へ おじゃるなら 草鞋履いておじゃれ」の琉球はない。
多くの演者がピークにする部分をカットしてしまう。
この効果はわかる。
弟分がイライラしてない。ごく軽く、隣を覗きにいくのだ。

私服に着替えた花いち、はな平のお二人も登場。
はな平師は、ご自身のオリジナル、扇子を鼻で持ったぞうさんのトレーナーを着ている。

次回は2月です。
それから告知ですと花いち師。1月下席の池袋でトリを取りまーす。

楽しい会でした。
客の不規則発言はやめてほしいけど。

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