2025年M-1グランプリを落語と寄席漫才から語る(上)

今年のM-1、面白かったですね。

以前は採点したりしてた。酒も控えたりして。
今はそこまでマジには観ていないのだが、やっぱり面白い。

今日は記憶だけで書いてみます。TVerで振り返った後で、また追加で何やら書くかもしれない。

最終決戦、1位のエバースが最後ではなく2番手を選んだ。
これは悪くない戦法だと思った。ラスト向けではない芸風だという自覚があるからだろう。
しかしその戦略の結果、空いたラストにたくろうがスポッとハマり、爆発した。
スポーツと捉えると、実に面白い結果である。

エバースも面白かった。
だが、テンプレート漫才のため1本目と比べると、既視感がマイナスに働いてしまう。
ミルクボーイもテンプレ漫才だが、狂気を競り上げてくるのが偉大なるバリエーションになるわけだ。
今回は、最終決戦の他の2組が「狂気」を1本目より嵩上げしたので埋没してしまった。
冷静に考えれば、「クルマになってくれ」も「腹話術の人形になってくれ」も狂気のかたまりである。
だからこそ面白い。なのにそれゆえに、自分たちの仕込んだ設定に埋没してしまう。
難しいですね。
ツッコミの町田が、「目を覚ませ!」みたいに狂気と対抗していくなら強いのかもしれないが、それじゃもうエバースじゃない。
ツッコミがボケの狂気を解釈し、徐々に受け入れていくからこそ面白いわけで。
まあ、芸風の問題じゃなくて、今回は相手が悪かったということでしょう。
今年あったエバースの笑点での騒動についてはいずれ。

たくろうは下積みが長かったらしいが、まったく知らなかった。
最終決戦はもう、優勝決まったなと。
ちなみに、悩んでいる審査員9人のうち、5人が入れると予想した。8人でしたね。
「ムチャブリ大喜利に即答で返していく」というのがこの人たちのテンプレート。
流行りそう。
ムチャブリされる赤木が、0コンマ数秒、一瞬の間を開けているのは偉大な技術。
この間でもって、漫才を聴いている人の脳に、これはマジなんだという錯覚を与える。
実際に、単に数字を数えての反応じゃなくて、「ムチャブリされて、スピーディに回答したい自分自身の反応」を記憶から引きずり出してるんじゃないかと想像する。
面白いことを言いたい(が言えない)そのリアルな葛藤が、絶妙な間を作り上げている。
しかもムチャブリの内容は「といえば」ではない。
3文字の略称を自分で設定して自分で答えよ、という相当ムチャなもの。
これはマジなんだと錯覚している客の脳に、さらにああこれは大変だ、よくできたという錯覚を与える。

日頃、落語について語っている私だが、マジックワードである「間」にはあまり近寄らないようにしている。
だが漫才から見事な間が見てとれた。

あとたくろう、お題を出すきむらに、「ムチャブリで相手をいじめている」感がないのも大きいと思う。
いじめだって笑いにはもちろんなる。だが現代人は、いじめだなと脳が反応すると、笑いを止めてしまうのだ。
今年のキングオブコント、や団の暴力性について取り上げたら多くのアクセスをいただいた。これが典型例。
この点、人柄なのだろうか、たくろうきむらのネタ出しはいい。追い詰めて笑いを引き出す感がない。
ボケを活かすのに、自分自身もよく働いている。

ところで、審査員の笑い飯哲夫が「久々に関西芸人が優勝して嬉しい」と語っていた。
審査員がそれ言っていいのかよ。
粗品との騒動になったTHE Wは観てなかった。観てないので何も書けないなと思っていた。
しかし、こんなことつぶやくセンスは、確かに審査員としても問題ありだな。

ちなみにたくろう、いかにも東京に出てきそうな気がするところ、あえて関西に残りそうな気がしている。
関西っぽい芸ではない点がむしろいいのでは。
と思うのだが、4年後に彼ら自身が「どうもしゃべくり漫才の関西では自分たちが生きないな」と感じるようになってきて、自然と東京行きになる。そんな見立てをしている。

ドンデコルテの最終決戦1本目は、優勝の文字が見えた。
エバースが終わったあとも、まだ残ってるなと。
いいねえ、デジタルデトックスも、名物おじさんも。
このコンビも、1本目より狂気を嵩上げしてきたからやられたな、と。
そして、漫才の舞台で低所得者層を押し出してきた人がかつていただろうか。普通は客が引くからやらない。
政治が悪い! と絶叫しておいて、しかしそれもまた設定だという二段構え。
私は「お笑いは政治を風刺しなければならない」とか言ってる人が大嫌い。お笑いを侮蔑してるに等しい。
こうやって「お笑いによる政治風刺」を風刺してるコンビが一番強い。

ドンデコルテの1本目を観て思ったのは、「ああ、こんな人、寄席漫才にいて欲しい」である。
寄席とは、落語の寄席。
比較対象は宮田陽・昇にロケット団。
そもそもよしもと芸人が寄席に出ることはほぼないし、それに日常会話と切り離されたトランス演説漫才なんて寄席にはないけど。
にもかかわらず、実に寄席向きと思った。
そう思ったのは、地味なツッコミ(小橋)のキャラかもしれない。実にいい仕事をしている。
だがこのツッコミ、貢献がもっと客にわかりやすく刺さると、さらにいいのではと思った。
わかりやすい仕事としては「解説」「翻訳」あるいは「同調」とか。
そこが優勝できるかどうかの差ではないかと思った。
ここ、芸人たちみんな迷うところだと思う。
私が好きなのは、「ツッコミに徹しているのにキャラが滲み出る」である。
滲み出るといいねえ。

もっとも名物おじさんを観たら、これは寄席漫才の範疇では収まらないなとも感じた。
どっちなんだ。

続きます。ただ、落語会のレビューもしてるので、数日後になると思います。

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。