けんさん会・柳家小はん真打昇進襲名披露(下・「明烏」)

長講続きで、トリの小はん師。黒紋付ではない。

私が噺家になるとき、母親は、歓迎するというほどでもないですが応援はしてくれました。
一太郎アニさんの浪曲を聴きながら、そんなことを思い出しました。
いっぽう父親は厳しかったですね。同じ家にいたんですが、私が入門して以来、父は私に口をきかなくなりました。
父は言ってました。「3年やって芽が出なかったらやめちまえ」。
でも前座の3年なんて、芽が出るも出ないもないですから。
3年で芽が出るのは、よほど飛びぬけた才能の人か、二世ぐらいです。父は落語界知りませんからね。
当初父は、「息子さん噺家なんだって?」と訊かれても、とぼけていたようです。
でも、二ツ目になった頃から、「すごいね」って言われるようになったみたいです。
で、そう言われると、「今度どこそこで会があるんだよ」ってその人に教えるようになりまして。で、当人は来ないんですけど。

これがなんと、明烏のフリ。
明烏を「親心」で紐解くという。面白いね。
父から見た息子なので、母親はあまり描写されない。

小はぜ時代、1年半前に阿佐ヶ谷にもく落語で聴いた演目である。
柳家の人はあまりやらない噺。そして、なかなか画期的な演出が見られた。
その際と基本は同じなのだけども、それでいながらずいぶんと面白かった。

この明烏はなにか。

  1. 若旦那の純朴さを等身大で楽しむ
  2. 太助の啖呵
  3. 女を知ってもやっぱり純朴な若旦那を楽しむ

こういう噺。
多くの明烏は、源兵衛と太助の噺。
世間の非常識だが、廓では常識人の二人の目から、廓の異物を眺めて楽しむ噺。
しかし、小はん師の明烏は、視点が常に若旦那にある。
二人にからかわれ、なにも気づかない若旦那の目からすべてが描かれている。
客が若旦那を心理的に遠ざけてしまいかねないお祭りの太鼓とか、師のたまわくとか、そういうのはちゃんと削ってある。
そして、世話役というべき源兵衛が、なんと狂言回しとなる。まあでも、本来こうなんだろう。廓の法がピンとこない野郎だし。
翌朝若旦那に「つらかったでしょう」と語り掛けるのは画期的。
夢のような思いをしてよかったに違いないというのは、決めつけ。どう感じるかは当人しだいだ。
実際、床に収まるまでは若旦那、ほんとにつらかったのだろう。

若旦那側から描かれる噺だが、しかし啖呵を切る太助のほうは影の主役。
太助の語る廓の法は、啖呵である。大工調べのごとく。

なるほどと思った。
これはまさに、柳家版明烏なのである。
柳家の人は、廓はさほど得意でないイメージ。でも啖呵ならお手のもの。
遊び人の背景は描かなくても、啖呵でもってすべてを語り切る。
太助のきっぷのいい啖呵に惚れた。

そして翌朝の若旦那、たちまちにして一皮むけた様子を描いたりしない。
若旦那はまだ、こういうのもなかなかいいじゃないかぐらいなのだろう。
だから、まだ純朴なまま。

この描き方は、現代の若者から共感されるのではないでしょうかね。
廓を知り、女を知り一人前だなんてのは決めつけであって。人から指示されるものではない。
なるほど、生真面目な人が廓噺をどう描くかという見本である。
演者としては、若旦那の中に自分を見つけたのではないかと。

冒頭が源兵衛太助の会話で始まるという、聴きそうで聴かない演出。
この二人を主役に描く意図ではなくて、若旦那の属性をばっさり切るためだと思うのだ。
なのに一席、意外と時間が長い。突っかかってる箇所がないので不思議だ。

甘納豆は若旦那の部屋で探したわけではなくて、太助の部屋にあったものを持ってきただけみたい。

見返り柳をご神木を聞き、手を合わす若旦那。
前回は確か、パンパンと柏手を打つシーンが入っていた記憶がある。だが、源兵衛のセリフだけで描かれるようになっている。
花魁が若旦那を挟み込んでる寝床の場面も、形が変わっていた。
若旦那が上に抜け出そうとするのではなく、藪入りのごとく前傾姿勢で寝てますよという造形であった。

寄席の披露目でも明烏出したらしいので、自信作なのか。
寄席でなくワキで聴けて、なんだか得した感じ。

小はん師は先行き明るい。
そして講談・浪曲と一緒に落語が聴ける会もなかなか楽しい。

(上)に戻る

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。