上下に分かれている長講の多くにおいて、「下」は聴けないことが多い。
「上」にはだいたい、見事なサゲがついているし。
あ、「子別れ」は逆に「下」しかやらないですね。「上」は「強飯の女郎買い」で、今回の浅草でも円満師が出したようだ。
鯉朝師の品川心中、すでに「上」で大いなる満足。
品川心中は一応「死」を扱ってるわけで、茶化していいのか気になる向きもあるはずだ。
鯉朝師のもの、気にある部分ゼロですね。マンガだからだ。
「上」のサゲには、天井の梁にぶら下がる、金玉落とし、与太郎のはばかり転落、腰を抜かした用心棒、全部出ていた。
面白い分、ここから空気を変えなければいけない。
「下」は親分が筋書きを描いてくれて、お染に復讐しに行く。
まずは、金蔵の弟をこしらえる。
そして金蔵だが、大食い設定をちゃんと使回収する。この人、1日飯を抜いただけでげっそりする体質なんだそうだ。
なので数日絶食して、城木屋に向かう。
お染に会いてえという金蔵を取り次ぐのは、海に飛び込んだことを知っている若い衆。
お染がやってきて、生きてたんだねえとおべんちゃら。
そこに親分と、金蔵の弟がやってくる。客が来たというので、逃げるように座敷を去るお染。
そこで金蔵の縁の者から、金蔵が死んだことを伝えられる。
それも、釣りの投網に死骸が引っかかって。
ウソだよ、金さん上で寝てるよ。
そんなことはありません。その証拠にあれ、お位牌持ってきたんだけど、ない。
お染たち、一緒に座敷に戻ると布団の中には、消えた位牌だけが。
すっかりビビったお染を坊主にしてしまう。
オリジナルのサゲは、「あんまり客を釣るから、『びくに』されたんだ」という、解説が必要なもの。
「比丘尼」と「魚籠に」を掛けてある。
これでやろうとするなら仕込まないといけないが、そこまでしたところで、という。
髪は女の命。現代人も、女の頭を坊主にすれば復讐大成功なのは理解できるところ。
だが「星野屋」が頭をよぎる。あれ、もしかしてフェイク? という。
遊馬師の品川心中が、星野屋方式だったのではなかったか。こちらは復讐失敗に終わるのだが、鯉朝師は成功する。
ただし、後日談がついていて、尼にされたお染、大人気を博するのである。
復讐自体は立派にやりとげたのだが、お染のほうも幸せになってしまうという、最適な結末。
このサゲは鯉朝師しかできないだろうな。
となると、リレー落語で出すというわけにもいかないと思う。
ずしり来る大ネタでした。その軽さから思うと、ずしり来るのは不思議。
でもそれだけ人間がよく動いているのだ。
楽しい古典だったゆえ、ズシリ来たことを自覚したのは、時間差でこの日がハネてからだと思う。
現在、おもしろ古典というジャンル(?)は人気だが、鯉朝師の古典もその一角を占めて欲しいなと思う。
なまじ新作が面白いため、世間が気づきにくいところはあると思う。
でも、新作がユニークで、廓噺もエキサイティングでファンキー。これはもう、言ったら喬太郎師ではないですか。
瀧川鯉橋師も1年半振りだ。すぐ空くものだ。
もっと聴きたい人。
本寸法寄りだが、でもやっぱり瀧川一門のテイストが濃厚。
隠れ洒脱な芸人。この洒脱さが、表面に浮かびあがっていればもっと評価が高いのだ、きっと。
マクラも楽しい人だが、ご自身のマクラは振ったか?
ぼて振りのマクラ。
「大根に付けべき『ん』を付けもせず いらぬごぼうを『ごんぼう』と言う」
死んだいわしを生きたように売るいわし売り。
生きている金魚を死んだように売る金魚売り。
それから、珍しめの小噺。
いわし売りの後ろを、篩売りが追ってくる。
「いわしいわし」「ふるいふるい」
商売がやりづらくって仕方ない。喧嘩になっていると、荒金屋が仲裁。あたしが後ろに付きましょう。
「いわしいわし」「ふるいふるい」「ふるかね」
まあ、手間かけたわりにはそんなにウケませんけどと鯉橋師。
これだけやってれば、この後枝太郎アニさんも準備できるだろうだって。あの人浅草から回ってくるから遅いんだよね。
この小噺、Wikipediaでは「豆屋」の項目に書いてある。
そうかな。豆屋なんてごくマイナーな噺だが、物売りのマクラはもっとよく聴く気がするが。かぼちゃ屋などにも入るのでは。
いずれにしても本編は豆や。
大ネタのあとでは、こういう軽い噺は最適。
ふだん豆屋と書いてるけども、芸協なので先代文治に敬意を表して「豆や」にします。
ぼて振りなど、出商いの場合は「や」にせよというのが先代文治の教えである。
「ざるや」「うどんや」などもそういう教え。
豆や、珍しい噺。最近では隅田川馬石師から聴いたぐらい。
なぜかえほん寄席には出ていた。