業界を変える人は、その業界内部からしか出てこないのだ

立川さぎ志ことヒカルの明治座公演が話題になっている。
YouTubeで断片は聴けるみたいだが、まあ当面ノータッチで行こう。
私としては「落語とはいえなかった」という感想を知るだけで十分だ。そりゃ、落語にはなり得ない。

最近も書いたばかりだが、素人を引きずり出し、「落語界を変えてやる(≒ 俺を認めない落語界に復讐してやる)」と叫んだって、意味はない。
落語の既存の業界はびくともしない。いや今回、一部の芸人がびくとしたのは事実だが。

私は、「業界を変革する人は、絶対にその内部からしか出てこない」のだ、そういう信念を確立するに至った。
ちなみに私の本来の感性は、決して「こうあって欲しい。あるべき」でもない。
落語界は旧弊なままがいいのだ、というのはさすがに思考停止。
この決めつけからは、「師匠は弟子をおもちゃにして苛んでもいい」という事実しか出てこなかったりなんかして。
だから、YouTuberがひらりと舞い降りて落語界に荒波を起こすという物語、これを丸ごとせせら笑うつもりはないのだ。ま、現状そうなっていないのは当然として。

マルティン・ルターだって、最初からカトリックの教義を丸ごと否定していたわけではない。
カトリック教会が売っていた贖宥状に、あまりにも本来の教義との矛盾を感じて葛藤し、そしてついに破門されたわけである。
すなわちカトリックの教義を完全に内面化していた人だ。
逆の立場、反宗教改革の旗手である、イグナスティ・ロヨラもまたしかり。

音楽だったらエリック・サティ。
この人は音楽エリートではなく、落ちこぼれからスタートした。だが改めて39歳で当時の音楽理論を学び、そして違う道に行った。そして真に業界を震撼させたのは死後なので、やや順序が違う。
とはいえ、丸っきり外から飛来してきた人でないのも確か。

スーパー歌舞伎の創設者、三代目市川猿之助も、内部から出てきて変革の必要を感じた人。
外の人が歌舞伎をつついて、そこに宙乗りをぶっつけても、それはただの賑やかしに過ぎない。

落語界だと、よく言われるのは談志。つまり志らく師の師匠である。
まあ、立川流を創設した動機は「単に自分がトップになりたかったからだ」と総括されることが多いので、背景はやや異なる。
それに、「寄席の否定」は現在の立川流の若手だって信じてないだろう。二ツ目の出る神田連雀亭における参加率は、立川流がずっと、一番多いのだ(でっち定吉調べ)。
いまだに寄席の否定をプラスだと捉えている志らく師の「本物の」弟子たちだって出ている。
談志はそれでも、寄席にどっぷり浸かった人なので、ルターのような改革者の資質を備えてはいた。
志らく師には、なにもない。先輩から稽古をつけてもらうという文化すらスルーしているわけで。
立川流原理主義者であるから、談志の寄席育ちの背景は丸ごと欠落している。
業界をぶっ壊すには、その基礎が足りないのでは。

さて、あらゆる芸術芸能の世界を含め、業界と別個のところからスタートして、最終的に業界を震撼させたアーティストがひとりだけいる。
絵画の世界における、アンリ・ルソーだ。
ピカソが「我々は皆、アンリ・ルソーの弟子だ」と評したというからすごい。
よかったね。ヒカルがルソーぐらいすごかったら、業界を震え上がらせる可能性があるよ。

落語界の真の改革者というと、明治の頃の三遊亭圓朝。そして新作における三遊亭円丈(初代)であろうか。
もちろんどっちも、落語界の真ん中から出てきた人。
円丈は新作をやるために古典の第一人者、圓生に弟子入りした。つまり既存の落語界の価値を完全に見抜いていた。

柳家喬太郎師も、古典の師匠さん喬に弟子入りし、先輩からはさん喬の弟子のくせに変な新作やりやがってといじめられながら、現在の地位を築いた。
まもなく落語協会副会長が発表されるが、師が副会長である可能性は非常に高い。組織の中枢でもあり、バリバリ体制派である。

私がかねてより、次の落語芸術協会会長になるとみなしている柳亭小痴楽師も、二世であり、落語界にどっぷり浸かってきた人。
どっぷり浸かってきた人だからこそ、いわゆる正統派古典とちょっと違う角度で語れるのだと思うのだ。

最近、日本ハムファイターズ新庄監督を見ていて思うようになった。
この人は、現役を引退して球界から消えてしまい、その後いきなり監督に就任した。
その手腕・功績を残らず否定する気はない。
だが、コーチとしての下積みをしてきていないためであろうか。常に軽い。
ベルーナドームの屋根を外そう、名古屋に移ってもいいなどと、江本孟紀に追随していきなり発言してしまう。軽い。
栗山監督もいきなり監督スタートだったが、別に球界から消えていたわけではなかった。
まあ、新庄監督はただの異端のまま、今年で終わるのであろうかと、そんなことを考えている。

オレ流落合博満だって、特に中日ドラゴンズについてはかき回し続け、その影響は今にまで至っている。
しかしやっぱり、この人はただの異端ではなかった。コーチ経験こそないが、中から出てきた改革者としては典型的な人である。
いっぽうでイチローは今でもただの(と言ったら叱られそうだが)異端であって、監督を頼む酔狂な球団はない。
イチローに球界を変える力はないとみんなが見ているわけだ。

政界もしかり。
山本太郎は、私の見立てすらはるかに超えた、ただのぶっ壊し男であった。
破壊は、改革よりも簡単なのだった。
ナポレオンやヒトラーだって、もう少し出世に至るまでの道筋はあったはず。

それにしても、見つからなかっただけかもしれないが、志らく師の弟子たちは、ヒカルの件にほぼ触れてない。
志ら門さんのポストがあったくらい。
この明治座も、勉強に行かないと前座に降格されるのかな。

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